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2025年11月12日水曜日

【旅行】国宝だった天守の裏物語!大垣城で「杭瀬川の戦い」と「西軍びいき」の展示に迫る

【この記事のポイント】
・大垣城の天守内部を探訪。関ケ原の前哨戦「杭瀬川の戦い」や、戦争を支える「兵站」の重要性など、戦国時代のリアルな側面。西軍びいきの展示や知られざる名門・戸田家の歴史に触れ、大垣城が持つもう一つの物語を学習。

昨日に引き続き、大垣城の記事。
今回は、再建された天守の内部の展示についてです。
現在の天守は、戦災で焼失する前のものと同じく4層4階建て。
入場料は200円と、非常にリーズナブルです。
しかも、PayPayが使えるのは、キャッシュレス派の私には、嬉しいポイント。
だったんですけど…
3人分をまとめて支払おうとしたところ、「すみません、PayPayの操作を、3回お願いします」とのこと。
う〜ん、このあたりの運用は、まだ改善の余地がありそうですね。

戦国のリアル、武器と兵站



天守の中は博物館になっており、大垣の歴史に関する様々な資料が展示されています。
こちらは、槍の穂先の展示。
短いもの、長いもの、十字の形をした「十文字槍」、そして…おっこれは珍しい。
「片鎌槍(かたかまやり)」もあります。
片鎌槍は、文字通り、刃が片方しか付いていない、鎌のような形状の槍。
相手を突くだけでなく、引っ掛けたり、切りつけたりと、多彩な使い方ができる実戦的な武器です。
加藤清正がこの名手として知られていますね。

火縄銃は、実際に持ち上げて構えることができます。
うっ、けっこう重いぞ…
これを担いで戦場を走り回っていた、当時の足軽たちの苦労が偲ばれます。

関ケ原の戦いのまさに前日。
この大垣城のすぐ近くを流れる、杭瀬川(くいせがわ)で、一つの重要な前哨戦が行われたんだそう。
それが「杭瀬川の戦い」です。
石田三成の家臣である島左近と蒲生郷舎、少数精鋭で東軍の中村一栄・有馬豊氏の部隊を挑発。
巧みな戦術で、東軍に一撃を与え、西軍の士気を大いに高めたと言われています。

個人的に非常に興味深かったのが、この「兵站(へいたん)」に関する展示。
戦(いくさ)とは、巨大な「消費」のメカニズム。
華々しい武功の陰で、武器や食料を前線へと運び続ける、地味な補給部隊の存在が勝敗を大きく左右したんですよね。
「小荷駄奉行は、百戦錬磨の強者を以て任ずべし」「兵站線(補給路)の確保を第一と心得よ」。
こんな心得は、現代のビジネスのサプライチェーン・マネジメントにも通じる普遍的な真理を突いています。

西軍びいき?と、知られざる名門・戸田家



関ケ原の戦いにおいて、西軍の拠点であったこの大垣城。
そのせいか、展示は珍しく、石田三成びいきなのが面白いところです。
そして、その三成の右腕として活躍したのが猛将・島左近。
「三成に、過ぎたるものが二つあり。島の左近と、佐和山の城」と、謳われたほどの逸材でした。
関ケ原の戦いでは、東軍の黒田長政隊に突撃、壮絶な討死を遂げています。

江戸時代の大垣藩主、戸田家に伝わる鎧兜。
戸田家の所領は10万石、譜代大名の中でも名門中の名門です。
松平姓以外の譜代大名の石高で言えば、井伊家、酒井家、堀田家に次ぐ全国で5番目の規模。
でもその石高の割には、「戸田家」という名前は、あまり有名ではないような気がします。
その理由は、歴史のハイライトとなるような大規模な合戦で主役になったり、幕末の政局を動かしたりといった派手なエピソードが他の有名大名に比べて少ないから。
逆に言えば、大垣の地で長期にわたり、安定した藩政を敷いていたということの証左でもあります。

天守からの眺め



天守の最上階、4層目はこんな造り。
幸い人もほぼおらず、のんびりと見て回ることができました。

天守から見た大垣の街並み。
かつてこの場所から、戸田家の殿様も同じようにこの街を眺めていたんでしょう。
遠くに伊吹山や養老山地も見渡せる、なかなかの絶景でした。

最後に


というわけで、大垣城の天守探訪。
関ケ原の戦いについて、また違った視点から捉える新たな情報を学ぶことができました。
この大垣城の入場券は、近くにある「郷土館」にもセットで入場できるとのこと。
次はそちらに足を運んでみようかな、なんていうところで、続きはまた明日。


【おまけのワンポイント】
・大垣城の天守内部は、定期的に展示替えが行われているんだそう。関ケ原の戦いに関する企画展などが開催されることも多いんだとか。訪れる前に公式サイトで現在の展示内容をチェックしておくと、より楽しめるんでしょうね。

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