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2025年11月11日火曜日

【観光】関ケ原の西軍拠点!大垣城は戦災で国宝天守を失った悲劇の城だった

【この記事のポイント】
・たまたま開催されていた「大垣まつり」の賑わいの中、大垣城へ。関ケ原の戦いの西軍拠点であり、かつては国宝の天守がそびえていた歴史の舞台に。


岐阜基地航空祭は、午前中で主なプログラムが終了。

さて、午後はどうしようか。
名古屋に戻って、少しのんびりするかな…

なんて考えていた時、「この後、大垣城に行こうよ」と息子からの力強い提案があったというのは以前の記事に書いた通りです。

えっ、マジか、基地も歩き回ったのに元気だなぁ。
と一瞬思ったものの、城好きの私としては否定するものでもなし。

Mさんもノリノリの様子。
よし、岐阜駅でのランチの後は、大垣へと向かうことにします。

水の都・大垣と、祭りの賑わい





大垣市は、岐阜県の西部に位置する人口約16万人の都市。
古くから、交通の要衝として栄え、多くの川が流れるその地形から、「水の都」と呼ばれているんだそう。

名古屋からもJRで30分ほど、アクセスも良好という岐阜県西部の中心都市の一つです。



駅に降り立つと、街が何やら騒がしい。
この日、たまたま「十万石まつり」が開催されていました。

毎年10月に行われる大垣市最大の秋祭りで、地元各団体の神輿やパレードが出し物だそう。
思わぬ賑わい、気分も高まりますね。

関ケ原、もう一つの舞台





祭りの混雑で少し時間はかかりったものの、駅から歩くこと15分ほど、大垣城に到着です。

現在、城跡として残っているのは本丸の部分のみのよう。
なだらかな階段の上に、すぐに天守が見えていました。



ん? 石垣の前に「明治29年大洪水点」という表示。
え!? ここまで、水が来たのか!

「水の都」の異名は、伊達ではない。
揖斐川、長良川、木曽川という日本有数の大河川に囲まれたこの地域、古くから水害との戦いの歴史でもあったようです。

その自然の猛威を静かに物語る石塔なんだなと。



天守のそばには、「おあむの松」と名付けられた立派な松。
関ケ原の戦いの際、大垣城に籠城していた「おあむ」という女性が城から脱出、戦いの様子を語り継いだという伝説があるんだそうです。

そうこの大垣城は関ケ原の戦いにおいて、石田三成ら西軍の拠点となった非常に重要な城なんですよね。

戦災で失われた、国宝の天守





天守は塀と繋がった複合式の望楼型。
どちらかというと、天守というよりは大きな櫓(やぐら)といった趣です。

この天守は、昭和34年(1959年)に鉄筋コンクリートで外観復元されたもの。
でも実は、昭和20年(1945年)の大垣空襲で焼失するまで、ここには江戸時代に建てられた本物の天守が残っており、国宝に指定されていたんだそうです。



現在の天守の石垣は、そのほとんどが再建時に積み直されたものですけど、一部焼失前の状態をとどめている部分もあるそう。

使われている石材は、多くがこの近くにある赤坂金生山(きんしょうざん)から切り出された石灰岩。
中には古代の化石が見られる石もあるんだとか。

また、天守の鬼瓦には、邪鬼を踏みつけるという非常に珍しいデザインが施されているんだとか。


城の西側にある城西公園から見た、大垣城天守。

手前にある、勇ましい騎馬像は、江戸時代の大垣藩初代藩主、戸田氏鉄(とだ うじかね)公です。

彼は徳川家康、秀忠、家光と三代の将軍に仕え、大坂の陣や、島原の乱でも武功を挙げた将。
また、城下町の整備や治水事業にも力を注ぎ、大垣発展の礎を築いた人物です。

最後に



というわけで、息子の鶴の一声ならぬ「城の一声」で急遽訪れることになった大垣城。

関ケ原の戦いの拠点という、断片的な知識しかなかったこのお城。
今回の訪問で、洪水との戦いの歴史、戦災で失われた国宝天守の悲劇など、多くの、新たな情報を知ることができました。

さて、この大垣城の天守内部はどうなっているのか。
というところで、大垣城の記事は明日も続きます。




【おまけのワンポイント】
・大垣は、江戸時代の俳人・松尾芭蕉が、「奥の細道」の旅を終えた「結びの地」としても知られています。市内には、芭蕉ゆかりの史跡が数多く点在、「奥の細道むすびの地記念館」もあります。お城と合わせて、芭蕉の足跡を辿るウォーキングもまた一興です。

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