・豊国神社に隣接する無料の郷土博物館、『秀吉清正記念館』へ。武将の肖像画当てクイズに惨敗しつつも、秀吉ゆかりの「馬藺兜」や弟・秀長の肖像、そして清正が築いた熊本城など、中村区が生んだ二人の英雄の生涯を改めて学習。
豊国神社を参拝したもう一つの目的は、境内に隣接する『秀吉清正記念館』を見学することでした。
豊臣秀吉と、その家臣である加藤清正。
清正の母は秀吉の母の従姉妹にあたり、二人は血縁関係にあったんですよね。
同じ尾張国中村(現在の名古屋市中村区)の出身ということもあり、清正は幼い頃から秀吉に仕え、その天下統一事業を支えたわけです。
この記念館は、そんな郷土の二人の英雄の生涯を後世に伝えるための施設。
無料とは思えぬ、充実の展示
さて、記念館の入場料は…え、無料?
さすが名古屋市、太っ腹じゃないですか。
そのせいか建物自体は少し古さを感じさせますけど、館内は綺麗に手入れが行き届いていました。
入場してすぐ、私の目に飛び込んできたのがこのパネル。
「私はだれでしょう」。
戦国時代の有名な武将たちの肖像画(と、されるもの)が、ずらりと並んでいます。
ふふん、こんなもの、歴史好きの私にとっては朝飯前だろう。
と、端から見ていきますけど…
…豊臣秀吉…徳川家康、明智光秀…あれ?
…織田信長…武田信玄、上杉謙信…おやおや?
…3段目の真ん中、知っている顔のはずなのに、名前が出てこないぞ。
4段目は…今川氏真…かな。
あとは、もう分からない。
特に女性に至っては全くのお手上げ、これじゃ歴史好きが聞いて呆れますね…
二人の英雄の足跡を辿る
秀吉が愛用したと伝わる「一の谷馬藺兜(いちのたにばりんのかぶと)」。
馬藺(ばりん)というアヤメ科の植物の葉を模した長大な後頭部の飾り(後立)がついているのが特徴です。
源義経の「一ノ谷の戦い」の奇襲を意識した、縁起の良いデザイン。
戦場での派手な自己顕示欲の現れでもあるんでしょう。
へぇ、豊臣秀長って、こんな顔立ちだったのか。
来年の大河ドラマの主人公、秀吉とは母が違う異父兄弟…
あれっ、そういえばさっきの「私はだれでしょう」にもいたかも…
中村が生んだもう一人の戦国大名、加藤清正。
彼は武勇に優れるだけでなく、築城の名手としてもその名を馳せています。
特に彼が築いた熊本城は、その堅固な造りから「難攻不落の名城」と言われてますね。
治水事業や新田開発にも力を注ぎ、領民からは「清正公(せいしょこ)さん」と呼ばれ、今もなお、深く慕われているそう。
この長烏帽子(ながえぼし)を模した、特徴的な兜も知っているなと。
写真で巡る、古戦場の記憶
この日、特別展示室では「秀吉・秀長の駆けた古戦場」というパネル展が開催されていました。
兵糧攻めで有名な因幡の鳥取城攻め。
弟・秀長が初めて城主となった但馬の竹田城。
そして、秀吉の天下取りを決定づけた備中高松城の水攻め。
今は静かに時を刻む古戦場の現在の写真は、かつての激しい戦いの記憶を雄弁に物語っていました。
そして織田信長亡き後、その後継者の座を巡って柴田勝家と豊臣秀吉が激突したのが「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」。
この戦いで、後に「賤ヶ岳の七本槍」と呼ばれる加藤清正や福島正則といった若き武将たちの活躍もあって、秀吉は見事に勝利。
織田家家臣団の中での主導権を確立し、天下人への道を大きく前進させることになります。
歴史の転換点となった重要な戦いの一つ。
各隊の動き発光ダイオードで示されており、これが結構わかりやすかったです。
最後に
というわけで、『秀吉清正記念館』には国宝級の目玉となるような展示品があるわけではなし。
でも無料ということを考えれば、非常に充実した価値のある施設でした。
郷土の英雄である豊臣秀吉と加藤清正。
その前半生に焦点を当てた展示は、彼らの人間像をより深く理解する上で大いに役立ったかなと。
さて、歴史の勉強で頭も使ったことだし、ここから名古屋駅までウォーキングがてら戻りますか。
早めにホテルにチェックインして、少し休むことにしよう。
なんていうというところで、続きはまた明日。
【おまけのワンポイント】
・『秀吉清正記念館』は、名古屋駅から地下鉄東山線でわずか2駅の「中村公園駅」が最寄り。昨日の記事に書いた豊国神社のすぐ隣なので、歴史散策のウォーキングコースとしておすすめですよ。
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