モーションウィジット

2014年4月30日水曜日

ひたち海浜公園、ネモフィラの丘に効率的にアクセスするには

昨日書いたネモフィラの丘に行った後、せっかくだからと公園内を一周してみました。 おかげで次回に向けて学んだことが多かったものの、恐らくこれでも30分以上はタイムロスになったんじゃないかなと。 今日はこの経験について書いておこうと思います。
ひたち海浜公園の案内図。 ネモフィラの丘が写真ど真ん中ちょっと左、ブルーに塗られた部分です。 私が車を停めたのはそのまま左に水平移動した公園外の臨時駐車場。 真っ直ぐ戻るのも面白くないと、右下半分の広いエリアをぐるっと回って、南口経由車に向かうことにしました。
公園内最南部、砂丘エリアの入り口、戦闘後の廃墟みたい。 砂地の植物が展示されているらしいのですが、チューリップやネモフィラの鮮やかな色に感動した後に来るところでは無いでしょう。
静寂のなかにこんな建物もあったり。 別の季節であれば、ここでじっくり本を読むのも良さそうではあります。
砂の道をただ歩いただけ。 人がほとんどいなくて静かなのはいいんですけどね。
これはイングリッシュガーデンかな。 ここが花に包まれる季節はいつなんでしょうかね。 ってな感じで、感動は全く無く、ひたすら歩いただけというのが正直なところでした。 で、こう歩いてわかったのは、ネモフィラの丘に一番近いのは海浜口の駐車場だということ。 停められる台数が350台と少ないので早く満車になってしまうようですけど、朝早くにこの駐車場を目指すのがベストです。 そしてもう一つ。 海浜口が満車の場合、西口駐車場より南口駐車場の方が良さそうだということ。 南口駐車場、公園に向かって左の方に中央口というのがあって、ここなら西口のような行列に並ばずに入れそうな気がします。 臨時駐車場は西口近辺に複数、対する中央口近辺には無いので、人の数は少ないんじゃないかなと。 歩く距離も西口からとそれほど変わらずなので、どなたかトライした結果を教えて頂きたいものです。 南口から入場というのも決して悪い選択では無く、ここなら行列はまずできないでしょう。 歩く距離は長いものの、実は西口の臨時駐車場からとそれほど変わらないんですよね。 まぁいずれにせよ、天気がいい日であれば激混み。 入場制限がかかる可能性もあるので、とにかく朝早起きして行くことが基本です。
延々と歩いてもう一つよかったのがこれ。 西口からネモフィラの丘までの店では行列しないと買えないネモフィラソフト、中央口ではすんなりと入手できました。 ブルーベリーで色付けしてあって、ラムネ風味のさっぱりしたソフトクリーム。 ネモフィラとは色が似ているだけじゃないかと思いつつ、暑さを感じていた身体には優しい味でした。 さて、明日はこの後に行った「那珂湊おさかな市場」について書こうと思います。

2014年4月29日火曜日

ひたち海浜公園、一面ブルーのネモフィラの丘

昨日の記事の続き、いよいよネモフィラの丘を目指します。 ネモフィラの丘は公園左手の最奥、入り口から10分ちょっと歩きます。
たまごの森を抜けてた後、そのまま広い通りだけを歩いても面白く無いので「記念の森散策路」に入ってと。 ネモフィラが無い季節、こんな雰囲気のいい森をのんびり歩くだけでも気分がいいですね。
公園内に保存された古民家、土肥さんの家、だったと思います。 震災でも倒壊しなかったというのは、建物上部が比較的軽量だからなんでしょうね。
なんか焦げ臭いと思ったら、竈の火が入っていました。 ご飯を炊いているのか? 保存古民家で火を使うなんて、なんと大胆な技… ほのぼのとした雰囲気を感じることができます。
ネモフィラの丘は古民家のすぐ隣、菜の花の向こうは一面水色です。 人間が蟻みたいですね。
ネモフィラの花、小さくてブルーが鮮やかで可愛らしい。 これが450万本、丘を覆っているそうです。
丘の下、空のブルーと一体化させるローアングルから。
この丘は「みはらしの丘」が正式名称。 春先のネモフィラだけでなく、秋はホウキグサで真っ赤に染まるんだとか。 そんな様子もまた見てみたいものです。
遠景に貨物船を置いての1枚。 海運や漁業が盛んな地域っぽく撮ってみました。 ひたちなかの記事、明日もまた続きます。

2014年4月28日月曜日

人気の観光地には、ちゃんと早起きして行かないと

昨日は国営ひたち海浜公園に行ってきて、ついでに周囲の観光もしてきました。 今週はその様子をシリーズでアップしてきます。 家を出たのは7:50頃。 ひたち海浜公園の開園は9:30、7:30には出ようと思っていたんですけど、油断して少し遅れてしまったのがこの後響いていくんです。
外環道から常磐道に入ったところで、なんと事故渋滞。 追い越し車線で5台前後がかなり激しい追突です。 まだ処理が終わっていなかったので、20分早ければ事故前に通過できたかも… いや、事故に巻き込まれていたかもしれないですね。 ここを通過するのに更に20分ちょっとのタイムロス。
常磐道から東水戸道路に分岐するところが渋滞気味だったので、そのまま常磐道を直進して次の水戸インターで降りたのは正解。 おかげで駐車場の選択肢が広がって、臨時駐車場にすんなりと入ることができました。 しか〜し、公園入り口にはチケット購入の行列、ここでまた20分ほどのロスです。 40分前に着いていれば、この行列は無かったのかどうか。
なんやかんやで予定より1時間程遅れての入園。 まずはたまごの森でチューリップの鑑賞です。
音楽が聞こえてくるなと思ったら、ヴィオラの生演奏をやっていました。 森にチューリップにヴィオラ。 心休まる豊かな空間です。 森一面に咲く、色とりどりのチューリップ等の花。 種類がわからずウンチクをたれることができないので、以下写真を続けて。
綺麗な様子が想像頂けるでしょうか。 木漏れ陽が当たるところとそうでないところで色に変化があって、単なるお花畑よりも色に変化があるんですよね。 さて、今日はここまでにして、明日は本命のネモフィラの丘について書きます。

2014年4月27日日曜日

日本一辛い一味、本当に日本一なんだろうか

今朝の記事が軽かったので、軽いのついでにもう一つ。 先月はじめに大阪出張した時に買ってきた「日本一辛い黄金一味」についてです。
何故「日本一」と断言できるのか。 そうであると証明できなければ、これは偽装といえるんじゃないか。 そんなこと考えながらも、まぁ細かいことはどうでもいいかと買ってきたんですけどね。 もう一つ、黄金と言いながら、昨年は台風の影響で収穫を早めたために黄金色でなく緑が混ざり気味とのこと。 でも辛さには影響ないそうです。 なんかインチキくさいなぁと思いながらも軽く舐めてみると… うわぁ、こりゃマヂで辛〜い! 私は辛いものは大抵平気ですけど、この辛さにはビビってごく少量しか使わないようにしています。 ただ、一味なので元の風味を消さず。 しかも辛味が早く引いていくので、長時間苦しむことは無くすぐに口がさっぱりします。 これは素晴らしい調味料ですけど、この調子だと無くなるまでに1年はかかるんじゃないかな。 辛党にはお勧めですよ。

お土産の米焼酎に感じる九州の豊かさ

今日は朝からひたちなか行き。 時間が無いので、記事のストックから手短にいきます。
これ、鹿児島土産で貰った米焼酎。 麹作りの見学コースに置いてあったものとのことで、島津家が幕府に献上していた高級なものらしいです。 味は淡白、無味無臭とまでは言いませんけど、甘味が前面にに出てさっぱりした味。 日本料理なら、どんなのに合わせてもいける焼酎だと思います。 江戸時代まで、日本酒といっても酢と変わらないようなものもあったり、アルコール度数が低いものが多数だったはず。 その頃から九州では美味しい焼酎を造る技術があったわけですから、食に関しては今日想像する以上に豊かな場所だったんでしょうね。 さて、これから車で2時間弱の旅、行ってきます。

2014年4月26日土曜日

一眼レフカメラのレンズがまた壊れた…

今日は、朝から17時までネット断食して、撮りためたドラマを真面目にみてました。 先週書いたドラマ評とちょっと違って、もしかして今回のベストはもしかして「BORDER」ですかね。 第3話まで行っても安定して面白く、小栗旬の演技もなかなかのもの。 展開の遅い「Mozu」よりは明らかに面白いし、「アリスの棘」も流れが変わったけど今後の展開次第かなという感じ。 「BORDER」と「アリスの棘」のどちらか、楽しみになってきました。 さて、今日はドラマ評だけで終わらせるには寂しいので、ついでにレンズが壊れたという話です。 今回は一昨年10月にNikon D7000と一緒に購入した18-105mmのズームレンズ。 ありがちなマウントの破損でした。 壊したのは花見クルージングの後に泥酔していた時、酔っ払って落としたことが直接の原因でしょう。 …って記憶は全く無いんですけど。 それにしてもマウントはよく壊れます。 昨年も別のレンズを修理に出したし、一昔前の一眼レフとはちょっと違う印象。 扱いが乱暴だからということでしょうけど、アルミ製にしてくれれば今回のような欠損は減るんじゃないか。 いや、今時はプラスティックでも丈夫だから、単に扱い方に問題があるだけなのか。 微妙な感じです。
今回の修理代は17875円。 インターネットで見積もりした時は22000円。 新宿のサービスセンターに修理持ち込むとこの値段なんでしょうけど、ニコン会員で宅配引き取りしてもらうと10%オフ。 原価は高いはずなのに、不思議な制度で安くなるんです。 まぁ19800円でも仕方ないと思っていたら更にもう少し安かったので、良心的なのは相変わらずですかね。 いいレンズだから仕方ないけど、修理代もそれなりの金額なのでもっと大切に扱うようにしないと。

2014年4月25日金曜日

東海館、昭和をたっぷり感じることができる施設

昨日書いた音無神社から、松川沿いを下流に戻って、伊東駅から歩いて7,8分のところにあるのが「東海館」。
かつての温泉旅館を改装、今は資料館として公開されています。





木造3階立て、昭和初期の開業から増改築を繰り返してこの建物に。
旅館をクローズしたのは1997年、伊東市に寄贈され、補修の後2001年に今の形で公開されるようになったとのことです。



入り口からしていきなり昭和の世界、懐かしいですね。

受付の方に500円渡したらお釣りが400円。
あれ、入館料って200円じゃなかったっけ。
ネコババして罪の意識を背負うにしては100円じゃ小さ過ぎる額なので、正直に申告しておきました。





薄暗い廊下、風情があります。
幽霊が出てきてもおかしくない雰囲気ですね。





当たり前ですけど、宿泊室は純和風。
障子の組み木はかなり凝ったデザインです。





2階、3階の宿泊室は展示スペースになっていて、三浦按針や伊東祐親、そしてこの東郷平八郎それぞれの部屋がありました。
東郷平八郎は伊東が好きで、ここに伊東に別荘を持っていたみたいです。





この組み木は帆船ですかね。
さすが漁師町の伊東っぽい趣。





内部を近代的に改装した展示スペースも。
この日は古地図展をやっていましたけど、まだ完成したばかりなのか建材の匂いプンプンでした。





3階の大広間。
このサイズが2つなので、ぶち抜けば相当の収容人数があったのでしょう。





建物を外観すると目に付く望楼、内側はこんな造りです。
周囲のビルが見えるだけですけど、完成した当時はさぞ眺めが良かったんでしょうね。






4日にわたって書いてきた伊東の町中紀行、滞在時間は1時間半程度。
途中で小雨が降ってきたので足早に巡っただけですけど、寂れた商店街にも良さそうなお店が幾つかありました。
いっそのこと、昭和風情を売りにする温泉街に変身、なんていうのもウケるんじゃないでしょうかね。

かつてのような賑わいは無くても、そこここに懐かしさを感じる町として観る価値はある。
総括するとそんな感想ですね。







2014年4月24日木曜日

「おのれ、頼朝め…」 伊東祐親の無念

昨日に続いての伊東紀行、今日は音無神社についてです。


今回は市内を流れる松川沿いをぶらり。
遊歩道が整備されていて、軽く散歩するにはいい環境です。
オリーブオイルの石臼から上流に歩くこと10分程、大きな木が生い茂っているところが音無神社。


別にどうってことはない小さな神社ですけど、周囲を巨木に囲まれているので薄暗いのが特徴。

何を祀ってあるのかと調べても、源頼朝と八重姫の話ばかりで…
お、あった。
豊玉姫という安産の神だそうです。



さて、その頼朝の話。

父親の義朝が平治の乱で敗れ、頼朝がお預けとなったのが伊東家。
娘の八重姫とここ音無の森で愛を育み、千鶴丸という子供までできたところに京都から帰ってきたのが父親の伊東祐親。
平家方の伊東祐親は千鶴丸を殺害し、頼朝まで殺そうとしたところで逃げた。

こんな内容だったと思います。

音無神社にはこれを絵巻風のパネルとして展示してあったので、以下その3枚を写真で。




なるほどねぇ。
悲劇といえば悲劇なんですけど、源頼朝、とんでもない「すけこまし」ですね。

たまらないのは伊東祐親。
孫を殺さねばならず、娘の八重姫には恨まれるこの上なかっただろうし。
その後、挙兵した頼朝に敗れて自害しているんですよね。

「ヤツ(頼朝)に人生メチャクチャにされた… 無念。」
そう思いながら自害したんじゃないでしょうかね。



そんなことを思いながらの伊東市内巡り、明日は元温泉旅館だった「東海館」について書く予定です。

2014年4月23日水曜日

伊豆の伊東にて、イギリス人とイタリアの街


昨日に引き続き伊東ネタ、今日は伊東に縁があるイギリス人とイタリアの街についてです。

まずはイギリス人から。

この激ヤセのオッサン、一体誰じゃ。
イエス・キリストみたいですけど、彼はイギリス人じゃないですよね。

ウィリアム・アダムス、日本名の三浦按針の方が多少名が通っているかもしれません。
イギリス人の航海士で、漂着した日本で一生を終えた人物です。

日本に来たのは1600年、関ヶ原の戦いの半年前なんだとか。
随分と物騒な時代に来て、その後徳川家康に旗本として召し抱えられたそうです。


そのウィリアム・アダムスが何で伊東と関係があるのか。

家康に命じられて洋式帆船を建造したのがこの伊東だったとのこと。
この縁が元でウィリアム・アダムス生誕のジリンガム市とは姉妹都市提携しているそうです。

なるほど。
何か歴史のロマンを感じますよね。



松川沿いに歩いたところには、大きな石がいくつか。
解説文を読むと、江戸時代初期の江戸城大改修では伊東で採掘した石が多数使われたんだとか。

「西国大名の家紋が掘ってあって云々」と書いてありましたけど、まぁそこいらで拾ってきた関係ない石を並べてあったとしても、誰も疑問は持たないでしょうね。



少し上流にあるのがオリーブオイルの石臼、姉妹都市であるイタリアのリエティ市から贈られたものとのこと。
リエティって聞いたことないなと調べてみると、ローマの北東、ちょうどイタリアのど真ん中にある人口5万人に満たない小さな町でした。

何でそんなところと関係があるのか。
伊東の伝統行事、松川タライ乗り競走にリエティ市が目をつけてきて、「こっちには「ワイン樽乗りレース」がある。提携しよう!」ってことになったんだとか。

両者にどれだけの共通性があるのか、提携してお互い何かいいことがあるのか。
様々な疑問はあるものの、何にせよ仲良くすることはいいことなのでまぁ余計なことは言わないようにしましょう。


リエティ市からは毎年オリーブの木が送られてくるそうで、いつかはこの石臼が役に立つ日が来るんでしょう。

伊東の町、明日は次に訪れた源頼朝に縁のある神社をご紹介します。