・円頓寺商店街から徒歩数分、江戸時代の商家の面影が残る「四間道(しけみち)」へ。大火の教訓から生まれた広い道幅の謎、「屋根神様」といった独自の文化を見学。
円頓寺商店街の東端、歴史を渡る「五条橋」。
その橋のすぐ先に、「四間道(しけみち)」というまた別の歴史的な街並みが広がっています。
円頓寺商店街とは目と鼻の先なので、まとめて観光するには実に良い立地です。
大火の記憶が刻まれた、商人の町
四間道は、名古屋城の築城とともに始まった「清洲越し」によって清洲から移り住んだ商人たちが築いた町。
堀川沿いに位置する水運の便の良さから、米や塩、味噌などを扱う問屋街として大いに栄えました。
この街並みは名古屋市の「街並み保存地区」第一号にも指定されており、今もなお江戸時代の面影を色濃く残しています。
こちらは、地区内で最も古い建物の一つとされる「伊藤家住宅」。
商家らしい、重厚な佇まいが印象的です。
街の一角には、「浅間神社」も、富士山信仰の神社ですね。
かつて、この辺りには尾張藩の米蔵があり、その蔵の鎮守として祀られていたんだそう。
商売繁盛、家内安全を願う商人たちの祈りが捧げられてきたんでしょう。
「四間」の道幅に込められた、先人の知恵
さて、この「四間道」というユニークな地名。
その由来は、元禄13年(1700年)にこの地を襲った大火にあります。
この大火がもたらしたのは、約1700戸もの家屋が焼失するという甚大な被害。
その教訓から、防火対策として道幅を当時の標準であった二間(約4m)を倍の四間(約8m)へと拡幅したんだそうで、現代でもゆったりとした開放感を与えてくれる広さです。
災害に強い街づくりを目指した先人たちの知恵、この道の名前に刻まれているんだなと。
路地裏に息づく、人々の祈り
普通の住宅街の路地裏。
ひっそりと、「子守地蔵尊」が祀られていました。
このお地蔵さんは、明治初期に井戸から出現した宝永7年(1710年)銘の石仏だそう。
なぜ井戸にあったのか。
神仏分離令での廃棄を避けるため近隣の人が井戸に沈めたという説。
もう一つは、作られた当時に近隣にあった長円寺が移転する際、何らかの理由で墓地から取り残され地中に埋もれたという説があるんだとか。
そして、商家の屋根の上には、「屋根神様」。
これは、伊勢神宮や津島神社、秋葉神社といった複数の神様を屋根の上に祀るというこの地域独特の信仰の形。
火伏せや家内安全を願うといった、篤い信仰心が見て取れます。
歴史と、現代が交差する場所
そんな歴史情緒あふれる四間道、近年は古い町家をリノベーションしたオシャレな飲食店が次々とオープンしています。
フレンチやイタリアンのレストラン、隠れ家的なバー、そして風情のあるカフェ。
歴史的な景観と、現代的なグルメが見事に融合。
ただ古いだけでなく、今もなお新しい魅力が生まれ続けている。
これこそが、この街が多くの人々を惹きつけてやまない理由なんでしょう。
最後に
というわけで、円頓寺商店街から四間道へと続く名古屋の歴史散策。
名古屋にも、きらびやかな「表」の顔だけでなく、こうした歴史の息遣いが感じられる「裏」の顔もあるんだとよく認識できました。
さて、今日の観光もここまで。
この日のランチは、義兄の家で皆揃ってとのこと。
そろそろ、そちらへと戻ることにしましょう。
【おまけのワンポイント】
・四間道と、その周辺には、古い蔵を改装したギャラリーや、雑貨店なども点在。特に目的を決めず気の向くままに、路地裏をぶらぶらと歩いてみるのが、この街を最も楽しむ秘訣なのかも。
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