・名古屋のレトロ商店街「円頓寺」を散策。商店街の名前の由来となった古刹、昭和の香りが色濃く残る路地裏の魅力、そして清洲越しの歴史を物語る「五条橋」まで、新旧が交差する魅力的な下町の姿。
昨日の続き。
あまりにも個性的な戦国三英傑像に見送られ、いよいよ円頓寺商店街のアーケードの中へと足を踏み入れます。
名古屋駅から歩いて来たこの商店街、実は徳川家康の『清洲越し』という一大都市移転計画の記憶をも近くに残している場所。
それを知って歩くと、アーケードの景色も違って見えてくるものです。
読み方の謎と商店街の歴史
とその前に。
この「円頓寺」という商店街の名前、皆さんは正しく読めるでしょうか?
私は何の疑いもなく「えんとんじ」と読んでいました。
正解は「えんとんじ」ではなく、「えんどうじ」。
「頓」という字の左側の偏が「屯(とん)」、すっかりこれに騙されてしまいました…
まぁそんな勘違いをするのは、私だけかもしれませんけどね。
アーケードが最初に設置されたのは1964年とのこと。
でもこの綺麗さからすると、その後何度か架け替えられているんでしょう。
半透明の屋根から柔らかく自然光を取り込む造り。
おかげでアーケードの中が薄暗くなることもなく、歩いていて非常に気持ちが良いものです。
こちらが商店街の名前の由来となった長久山 圓頓寺。
あれ? お寺の名前は「えんどんじ」なんだ。
「とん」「どう」「どん」、どれもまぁ似ているから何でもいい、ということか。
このお寺は、1654年に日言上人によって開かれた日蓮宗寺院。
名古屋城天守閣の余材で刻まれた鬼子母神像があり、毎月18日に公開されているんだそうです。
路地裏に潜む昭和の香り
おっ、これはなんとも魅力的な路地裏の飲み屋街♫
とはいえ時刻はまだ朝の10:00過ぎ、この路地がその真の魅力を発揮するにはあと8時間ほど早いようで残念。
アーケードの脇には、ひっそりと「金刀比羅神社」も。
金比羅さんといえば、香川県の金刀比羅宮を総本宮とする海上交通の守り神。
かつてはこの辺りまで、堀川を通じて船が荷物を運んできたその名残なんでしょうかね。
こういう昔ながらの個人商店が今も元気に営業しているのも、この商店街の大きな魅力なんでしょう。
店先には温かみのある陶磁器が並んでいます。
この商店街の昔話でも聞きながら、お気に入りの器を探す。
そんなスローな時間の過ごし方もまた良さそうです。
ん? 「はね海老」、これはお店の名前。
60年以上も続く老舗の洋食店、ここの名物はエビを開いて1.5尾分を贅沢に使って揚げるという独特のスタイルのエビフライなんだとか。
いずれまた、営業時間に来てみたいお店ですね。
歴史を渡る五条橋
円頓寺商店街の東の端、堀川に架かっているのがこの「五条橋」。
この橋は「清洲越し」の際に清洲の城下町から名前ごと移設されたものだそう。
清洲越しというのは、徳川家康の命により、尾張の中心地を清洲から名古屋へ丸ごと移転させた一大都市移転計画です。
名古屋城築城と並行して行われ、城下町を整備する「碁盤割」により現在の名古屋市の基礎が築かれたんだそう。
住民、寺社、職人なども含めた大規模な移動により、清洲は寂れ、名古屋が尾張藩の政治・経済の中心として発展を遂げることになったんですよね。
最後に
というわけで、円頓寺商店街はただのレトロな商店街ではないなと。
名古屋城築城の歴史「清洲越し」の記憶、そして今もなおそこに暮らす人々の息遣い。
新旧が見事に融合した非常に人間味あふれる魅力的な空間でした。
さて、五条橋から南下すると、「四間道(しけみち)」というまた別の歴史的な街並みが広がっています。
次はそちらへというところで、続きはまた明日。
【おまけのワンポイント】
・大正から昭和の戦前を通じて、円頓寺商店街は堀川以西の市街地における最大の盛り場として賑わいまっていたんだとか。市電が近くを通り、劇場や寄席も設けられ、多くの人が集まる場所だったそうです。
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