・茨城県立歴史館にて、宮大工・羽田甚蔵の手による「旧水海道小学校」の圧倒的な存在感と歴史や質実剛健な農業高校校舎まで、知的好奇心を刺激する屋外展示の数々に触れる。
水戸には過去に何度か足を運んでおり、水戸城址や弘道館、偕楽園といった定番のスポットは既に巡ってきました。
そしてこの時期、偕楽園の梅はまだ蕾の段階。
今回は「水戸の歴史」をより体系的に把握するため、『茨城県立歴史館』へと向かいました。
明治の教育熱が生んだ傑作:旧水海道小学校本館
ネットで「茨城県立歴史館」と検索すると、必ず目にするこの美しい擬洋風建築。
てっきり歴史館のメイン棟だと思い込んでいたんですけど、正体は移築された「旧水海道小学校本館」でした。
1971年に移築された県の有形文化財。
この建物は1881年(明治14年)、豪商たちの寄付を資金源に、宮大工棟梁・羽田甚蔵(女優・羽田美智子さんの5代前)が設計・施工したんだとか。
当時はそのモダンな姿が評判を呼び、近隣の村々から親戚を頼ってまで通学させる「越境通学」が流行したほどの人気だったんだそうです。
入口のすぐそばには、「御影奉安所(ごえいほうあんじょ)」。
その重々しい佇まいから、役割はすぐに察しがつきますね。
ここは明治から戦前にかけて、天皇・皇后の写真(御真影)と教育勅語を火災や盗難から守るために設置された最重要施設。
小学校で最も神聖な場所とされ、かつての教育現場が持っていた宗教的・国家的な緊張感を今に伝えています。
当時の教育インフラが何を「核」として設計されていたかを物語る、非常に貴重な遺構だなと。
水戸が生んだ先駆者たち:横山大観と本間玄調
現在公開されている1階部分には、パネル展示を中心に茨城ゆかりの人物たちが紹介されています。
中でも私の興味を引いた二人の人物をピックアップ。
一人は、日本画の大家・横山大観。
水戸が生んだあまりにも有名な巨星です。
水戸藩士の長男として生まれ、岡倉天心らと共に近代日本画の革新に挑んだパイパー。
独自の描法を確立し、西洋画の空間構成を取り入れながら日本の精神性を描き続けました。
その革新的な姿勢は、現代のクリエイターにとっても大いなるインスピレーションの源なんだとか。
もう一人は、今回初めてその名を知った本間玄調(ほんま げんちょう)。
水戸藩の医療でが欠かせない重要人物なんだそうです。
江戸後期の水戸藩医であり、種痘(天然痘の予防接種)の普及に命を懸けた、日本の公衆衛生の先駆者。
当時、死に至る病であった天然痘に対し、最新の医学的知見をもって領民を救おうと奔走しました。
彼の情熱がなければ、より多くの命がこの地から失われていたかもしれない、真の英雄の一人といえる人物です。
ここでふと、歴史の悲劇が。
そういえば、幕末の孝明天皇も35歳の若さで天然痘により崩御されています。
皇室や公家は「穢れ」を極端に忌避、牛から採取したウイルスを使う牛痘接種を「異質なもの」として拒絶したといいます。
伝統的な価値観が、最新医療の導入を阻んでしまうとは、なんとも不幸なことですね。
対照的な校舎と、未来へのアーカイブ
敷地内にはもう一つ、歴史的な建物である旧水戸農業高等学校本館。
1935年(昭和10年)に建てられたこの校舎は、簡素ながらも質実剛健な昭和初期の学校建築の姿を留めています。
かつての農業教育の拠点として、多くの若者が土と向き合い、技術を磨いた学び舎。
明治の旧水海道小学校の華やかさと比べると非常に質素、それが当時の時代の要請や教育観を反映しているようで興味深い。
広大な庭園の片隅には、タイムカプセルも設置されていました。
1974年の歴史館開館を記念して埋設されたもので、当時の茨城の姿を未来へ届けるためのものが収められているんだそう。
2074年の開封予定となっており、現在進行形で「50年後の未来」へと歴史を送り届けている最中なんですね。
屋外の展示物だけでも、それなりに充実。
さて、いよいよ、本丸である茨城県立歴史館の内部へと足を進めるとしましょうというところで、続きはまた明日。
【おまけのワンポイント】
・敷地内はウォーキングコースとしても非常に快適で、季節ごとの植生を楽しみながら歩数を稼げそうです。
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