・福島二名城巡りの旅、最初の目的地は二本松。まずは城山の麓にある新しい歴史館『にほんまつ城報館』へ。畠山氏の統治から丹羽氏による城下町の整備、そして幕末の動乱まで。プロジェクションマッピングなどを駆使した分かりやすい展示で、霞ヶ城の歴史を学習。
郡山駅で車を借り、一人ドライブで向かった旅の最初の目的地は二本松。
まずは、霞ヶ城(二本松城)の麓にある、『にほんまつ城報館』を訪れることにしました。
新しい歴史館で、二本松の歴史を学ぶ
この施設は、2022年4月に開業したばかりとのこと。
まだピカピカ、実に綺麗な外観です。
入場料は200円。
まずはここで、これから向かう霞ヶ城の歴史について、しっかりと予習していくことにしましょう。
戦国乱世、畠山氏の栄枯盛衰
戦国時代まで、二本松の地を治めていたのは畠山氏。
もともとは室町幕府から奥州探題に任じられた名門で、伊達氏や蘆名氏と並ぶ南奥州の有力大名でした。
一族内での内紛や周辺勢力との争いが絶えず、その力は次第に衰退。
まさに戦国乱世の縮図のような一族です。
そして畠山氏の運命を決定づけたのは、「粟ノ巣の変」。
当主であった畠山義継は伊達政宗からの圧力に追い詰められ、和睦の仲介をしてくれた伊達輝宗(政宗の父)を訪れます。
しかし、その会談の場で義継は輝宗を拉致するという暴挙に。
駆けつけた政宗ら伊達軍は、結果として父・輝宗もろとも義継を討ち果たしてしまいます。
江戸泰平、丹羽氏による城下町づくり
伊達氏の支配後、蒲生氏や上杉氏などが治めた会津藩の支城時代を経て、江戸時代に二本松藩の藩主となったのが丹羽(にわ)氏。
丹羽長秀は、織田信長の重臣として活躍した武将で有名ですね。
その子孫である丹羽氏は、関ヶ原の戦いの後に一度は改易されるも、大坂の陣などでの功績により禄高アップ。
白河藩を経て、二本松藩10万石の藩主として幕末までこの地を治めたんだそう。
中でも初代藩主・丹羽光重は、名君として知られています。
現在も「霞ヶ城公園」として市民に親しまれている城の大改修も、彼の時代に行われたもの。
お城と並んで特筆すべきは、城下町の整備です。
1643年、それまで城の直下を通っていた奥州街道を城の東側で迂回させ、現在の二本松駅近くを通るルートに付け替えるという大規模な都市計画を実行。
これにより、二本松の城下町は大きく発展することになったんだそうです。
まさに、今日の街のグランドデザインを描いたわけですね。
館内には、プロジェクションマッピングのコーナーも。
立体的な模型の上に、映像を投影することで、二本松の城下町がどのように発展していったのかを、非常に分かりやすく解説してくれます。
ITを駆使した展示は、歴史への理解を深める上で本当にありがたいものです。
領内の農業を発展させるため、丹羽光重は「二合田(にごうだ)用水」という大規模な用水路も整備。
安達太良山の中腹から水を引き、街を潤したこの用水は二本松藩を支える重要なインフラ。
しかも幕府には内密にしていたそうで、さすが丹羽長秀の孫という器用さを発揮した事業だなと。
そして時代は幕末へ。
戊辰戦争では、二本松藩は仙台藩や会津藩などとともに、「奥羽越列藩同盟」に参加します。
新政府軍と旧幕府軍との間で、東北の地もまた、大きな動乱の渦に巻き込まれていくことになるんですよね。
幕末の二本松藩については、また別の記事でまとめたいと思います。
最後に
というわけで、『にほんまつ城報館』での予習。
展示はパネルが中心ではあるものの、その内容は非常に分かりやすく、プロジェクションマッピングなどの演出もよくできている完成度の高い施設でした。
さて、この知識を携えてと。
次は霞ヶ城へと向かおうかというところで、続きはまた明日。
にほんまつ城報館
〒964-0904 福島県二本松市郭内3-30-5
0243-22-6630
営業時間 9:00〜17:00
休館日 月曜日
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