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2025年10月12日日曜日

【旅行】開成山公園はもはや「街」!?歴史と未来が融合する次世代の憩いの場

【この記事のポイント】
・『開成館』の見学後、隣接する『開成山大神宮』と『開成山公園』を散策。荒れ果てた原野だった土地が安積開拓という一大事業の中心地となり、人々の心の拠り所として大神宮が創建された歴史に触れます。そして時代と共に進化を続ける公園の姿に、郡山の未来への活気を感じました。


『郡山市開成館』で郡山発展の礎となった安積開拓の歴史を学んだ後。

せっかくなので、すぐ隣にある『開成山大神宮』と『開成山公園』も散歩してみることにしました。

人心を一つにした、東北のお伊勢さま




開成山大神宮が鎮座するこの地は、江戸時代までは「大槻原」と呼ばれる広大な荒れ野。
明治維新後にこの原野を開墾する「安積開拓」が始まりますけど、様々な村の利害が絡み合い、入植した二本松藩士族をはじめとする人々の心を一つにまとめるのは非常に困難な事業だったそうです。

そこで、開拓の指導者であった中條政恒らは、人々の心の拠り所としてこの小高い丘を「開成山」と名付け伊勢の神宮をお祀りする遥拝所を設けることを計画。
これが開成山大神宮の始まり。


当初はささやかな遥拝所だったものの、人々の熱意は明治政府を動かします。
戊辰戦争で「朝敵」の汚名を受け、疲弊していた東北の人々の心を憂慮された明治天皇の特別な配慮により、前例のなかった伊勢神宮からの御分霊が許可されたんだそう。

明治9年、御分霊がこの地に鎮座し、「開成山大神宮」が誕生。
その後、国営事業として安積疏水の工事が始まると、伊藤博文らが参列して起工式が執り行われるなど、まさに安積開拓の精神的な支柱となっていったんだとか。

以来、「東北のお伊勢さま」として、今も多くの人々の尊崇を集めているのがこの神社。

開拓のシンボルから、市民の憩いの場へ




開成山大神宮に隣接する広大な『開成山公園』。
その歴史もまた、安積開拓と深く結びついています。

大神宮を中心に、開拓者たちの憩いの場として整備されたのがこの公園の始まり。
灌漑用のため池として造られた「五十鈴湖」の周りには約1,300本ものソメイヨシノが植えられ、現存するものとしては日本最古級として認定されているそうです。


昭和に入ると陸上競技場や野球場が建設され、都市公園として、郡山市民の誰もが集うランドマークへと発展していきます。
日米プロ野球や、伝説的なロックフェス「ワンステップフェスティバル」が開催されるなど、全国から人々が集う文化の発信地にも。

まさに、郡山の発展の歴史とともに、この公園も変容していったんですね。


そして公園のシンボルとしてそびえ立つのが、この「開成山安積疏水開拓記念塔」。
安積開拓の礎を築いた人々の偉業を後世に伝えるために建てられたものです。

タワーの下には中條政恒、阿部茂兵衛、大久保利通といった安積開拓を象徴する人物の群像が配されおり、「安積原野の開拓はこの地より創まる」とのレリーフも。

進化し続ける、次世代の公園へ




平成そして令和の時代に入り、この公園はさらに進化を遂げています。

音楽・文化交流館や屋内プールが完成し、B-1グランプリのような大規模な食のイベントが開催されるなど、新たなカルチャーの発信地としてその役割を拡大。
そして現在も再整備が進められており、持続可能な市民参加型の公園へと、生まれ変わろうとしています。



その象徴が、公園内に新たに誕生したオシャレなショップ群。

湖のほとりには、朝早くから営業しているカフェ。
喜多方ラーメンの名店が監修した朝ラーが楽しめるお店。

国産小麦100%の無添加パンが楽しめるベーカリーに、本格的なグルメバーガーのテイクアウト専門店。
そしてお花屋さんや美容室まで。

もはや「公園」という枠には収まらない、一つの「街」のような機能を持ち始めているような。

最後に


というわけで、『開成館』から始まった郡山発展の歴史を巡る散歩。

荒れ野の開拓から、人々の祈りの場の創出、そして時代と共に進化し続ける市民公園へ。
この一帯は郡山という街の、過去・現在・未来が凝縮された非常に興味深いエリアでした。

さて、そろそろホテルにチェックインできる時間。
車を返却して荷物を置いてと、夕食まで一休みすることにしようかな。




【おまけのワンポイント】
・開成山公園の桜は、「日本さくら名所100選」にも選ばれています。特に、日本最古級と言われるソメイヨシノの並木道は圧巻だそうで、春に郡山を訪れる機会があれば、ぜひ立ち寄ってみたいものです。

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