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2022年11月12日土曜日

【旅行】江戸時代の宝永大噴火がもたらしたインパクト

【この記事のポイント】
・富士山信仰のシンボル北口本宮浅間神社にて、宝永噴火と富士講流行の関係を整理してみた



北口本宮富士浅間神社に来るのは昨年の11月以来。
前回は両親と一緒、息子は初なので寄ってみたんです。

前回来た時よりも写真の色が暖色系、曇っているせいなのかな。
光が優しくて青みがなく、人の肌の色が自然な感じに仕上がっています。

礎石だけとなっているここには、かつては仁王門があったらしい。

仁王門といえばお寺、そう、明治初期の神仏分離令で撤去されてしまったんだそうです。
軒高は11mあったというから、かなり立派なものだったのでしょうね。

鳥居に到着、う〜ん、曇り空だと空が単調ですねぇ。
よし、写真編集ソフトのLuminar AIでチャチャッと。

同じ曇り空でもドラマチックに、AIで勝手に空の領域を識別してくれるので、こんな作業もわずか数秒。
世の中便利になったものです。

この鳥居、木造では日本一高い鳥居らしいですけど、両部鳥居という個性的なつくり。
鳥居の柱を支える四脚は稚児柱というんだそうです。

この地に神社ができたのは788年、ここまで大きな規模になったのは江戸時代に入ってから。
富士講が盛んになった1730年代、富士講の村上光清が私財を投じて造営された拝殿が目立ちます。

宝永噴火が1707年、この時の降灰被害は富士山の南や東、富士吉田はさほどのダメージはなかったんでしょう。
その後に富士講が盛んになったということからも、いかに富士山の噴火が関東地方の人々にインパクトを与えたのかがわかりますね。

富士山駅まで歩く途中、吉田のうどんの『ふじ山食堂』の前を通ると10人以上の行列。

並盛り250g、大盛り500gと盛りが半端なく、値段が100円しか違わないというのも人気の理由なんだそう。
いずれ時間がたっぷりできたら、平日に巡ろうと記憶しておいてと。


今日は雨に降られることなく、北口本宮冨士浅間神社にもお詣りできたことに感謝。
さて、次の観光地にというところで、続きはまた明日。




北口本宮冨士浅間神社
0555-22-0221
山梨県富士吉田市上吉田5558
神札授与所 8:30~17:00

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