モーションウィジット

2018年1月21日日曜日

【観光】大阪城から真田丸まで、そこそこの距離歩くなぁ

大阪歴史博物館を出た後、真田丸跡を目指して歩いてみることに。
 
真田丸は、大坂冬の陣の時の南東端。
当時の広さを知るには一番かなと、大阪城から徒歩で向かってみたんです。
 
まずは大阪城の南側、大阪歴史博物館から見渡せた難波宮跡公園を突っ切ります。
 
それにしても、この場所、こんなに広い土地を公園として保存するというのは凄いですよね。
遺跡発掘前はどんな用途の土地だったんだろう。
 
公園を抜けたところが朝堂院南門跡。
ってことは、これよりも南まで難波宮はあったのか。
 
多少のアップダウンを乗り越えて、玉造稲荷神社の分社に遭遇。
看板によると、ここは浪花講発祥の地なんだとか。
 
講というのはお伊勢さん詣りのこと。
そうか、大阪にも講があったんですね。
 
そろそろ真田丸というところには、大阪の陣の戦死者を弔うために作られたという善福寺に。
このお寺は歌舞伎の「どんどろ大師 お弓おつる別れの場」の舞台として有名とのことだけど…知らないなぁ。
 
明星学園が真田丸と言われてますけど、お隣の心眼寺に観光スポット。
真田丸は南北220m×東西140mもしくは南北270m×東西280m(堀の幅を除く)だったと言われ、かなり大きな出丸だったようで、心眼寺に北東端と言われる場所があります。
 
六文銭の旗も立っているのでわかりやすいですね。
寺の中に入ってみましょう。
 
特に何があるわけでもないですけど、何となく当時の雰囲気を感じられる場所ではあるんですよね。
 
子供の頃に見た絵では、真田丸は大阪城に隣接して建てられていましたけど、善福寺のあたりは窪地になっています。
なので歩いてみると、独立した出城だったんだろうというのが実感できるわけです。
 
大阪城からの距離も15分ほど、「総構え」と言われる大阪の街も、当時はそれほど大きくなかったんですね。
歩いてみてわかる大阪の陣、なかなか面白かったなと。
 
 
【今日のワンポイント】
・心眼寺には、京都見廻組の桂早之助・渡辺吉太郎の墓も。この両名、坂本龍馬・中岡慎太郎を暗殺した実行犯と言われており、共に鳥羽伏見の戦いで戦死したそうです。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿