モーションウィジット

2018年1月19日金曜日

【観光】威容を誇る城郭に歴史の足跡

大阪城って、駅から遠いし広くて観るのに時間がかかるので、なかなか行かないんですよね。
過去にも、一度前を通過したことがあるのみ。
今回はせっかくの機会なので天守閣まで行ってみることにしました。
 
JR大阪駅から、環状線に乗って大阪公園駅まで。
大阪城ホール等を通過して、内濠にかかる極楽橋までは20分ほど歩きます。
 
大阪城、江戸時代には天守閣がなかったそうです。
 
今ある天守閣は1931年建造の復興天守。
モデルは豊臣秀吉時代のものなので、基礎は江戸時代、天守は豊臣時代というハイブリッド様式か。
 
内濠だけでも相当なもの。外濠はと見に行くと、更に広大で石垣も高いこと。
森の向こうには大川も流れているので、城北方面は鉄壁の守り。
 
天守に登る途中には、石が無造作に置いてある広場。
よく見ると石には紋が刻まれているので、なるほど、これは江戸時代に大阪城郭を作る際、各地から持ってきたものなんだな。
 
天守閣内部には入らず、南側の広場に。
ここに来ると外国人がまぁ多いこと、自撮りも多数いて、ちょっと歩き難いほどです。
 
おや、この後ろ姿。
鹿の兜といえば、本田平八郎忠勝か山中鹿之介か…
 
いやいや、六文銭の陣羽織は真田信繁ですね。
どうも赤備えには真田のイメージが湧かないのはなぜなんだろう。
 
復興天守と同時に建設された陸軍第4師団司令部、戦後は大阪府警本部や大阪市立博物館としても使用されていた建物。
2017年10月に複合施設Miraizaとしてリニューアルオープンされています。
 
中を見たくなりながらも、いやいや、今日時間を使うのは次に行く大阪歴史博物館。
じっと我慢で先を急ぎましょう。
 
石垣の巨石も見事。
有名な蛸石、たこ焼きとは何の関係もなくて、蛸が寝ているようなシミがあるからなんだとか。
 
豊国神社は豊臣秀吉、秀頼、秀長を祭祀した大阪城本丸内の神社。
豊臣秀吉、優しさと威厳を兼ね備えた銅像です。
 
そうだ、ここって石山本願寺だったんですよね。
 
織田信長が囲むこと10年、徳川家康の大阪攻めは1年かからずだったので、末期の豊臣家がいかに弱体化していたのかが窺い知れます。
立て籠れば数年は保ったのかもしれませんが、救援に来てくれそうな味方はいないなか、そんな戦い方はできなかったのでしょう。
 
西の大手門から場外へ。
今回も駆け足ではありましたけど、城郭内を横断して広さを実感できたのは貴重な経験でした。
 
いずれのんびり時間をかけて、また巡りたい場所として記憶しておきましょう。
 
 
【今日のワンポイント】
・大阪城は幕末に徳川慶喜が船で江戸に脱出するまでいた城。大阪落城という江戸時代の始まりだけでなく、終わりもここが舞台だったんですね。
 

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