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2018年6月17日日曜日

【観光】眺めのいい燈籠坂大師、戦国時代そのままの造海城跡

燈籠坂大師の切通しトンネルの先にあるのは、名前そのまま燈籠坂大師。
大師というのは弘法大師空海のことで、日光に下る際、当時の東海道であったこの地を通り、岩に自画像を刻んだんだとか。
 
お堂に行くには参道を登らねばならず。
 
階段の男坂、緩やかな坂の女坂とありますけど、男坂もそれほど急な階段でもなし。
今風に言うと、女坂は車椅子の方向けのスロープ、といったところでしょう。
 
鳥居があるってことは、あれ、もしかして「大師」って神社だっけ?

いやいや、大師というのは高位な僧侶のこと、なので仏教ですね。
元来、鳥居は聖地結界への四門であって神社に限らずというのは、四天王寺で学んだこと。

お堂は小ぢんまりとしていて、昔ながらの風情が残っています。
眺めもいいし、親しみやすいお寺だなと。
 
ん?すぐ横に石削りの登り階段があるぞ。
これを登ると、城跡に行けるのかな。
 
昇ってみると想像通りで、この地が「城山」と呼ばれる由縁、戦国時代末期に廃城となった造海城(つくろうみじょう)へのルートでした。
 
造海城というのは上総武田氏が築いた城、1537年に里見氏の手に落ち、廃城になるまでは里見水軍の一大拠点だったとのこと。
城の遺構がそのまま残されているとネットで見て、入り口が簡単に見つかれば行ってみようと思っていたんですけど、まさか燈籠坂大師のすぐ横だったとは。
 
造海城の全体構造等については、詳細に書いてある他の方のブログ記事に譲るとして、ここではザックリとした印象を書いておきます。
 
外見は木に覆われて単なる山にしか見えないですけど、歩くと正に城。
通路は細く、時に両側が切り立っているのは、敵を一列にして侵入を防ぐためです。
 
現在は海を見通せるところは少ないものの、木を伐採すれば東京湾を一望。
対岸からでも、船がくればすぐにわかります。
 
曲輪はそれほど広くはないものの、周囲の斜面は相当にきつくて長く、これを登り切るのは難しいでしょう。
 
そんな防御向きの城であるが故に、城兵側の出入りも限られています。
燈籠坂大師を抑えて包囲すれば、開城に持っていけるんじゃないかな。
 
石積みも当時のものなのかどうかは定かではないですけど、確かに城だった時代の様子は想像がつく程度にしっかり残っています。
ここを整備して城を再現すると、いい観光資源になりそうな気がするんですよね。
 
燈籠坂大師以外の出入り口を探して山中を歩き回ったので、予定外に長居してお腹はペコペコ。
さて、次はランチにというところで、続きはまた明日。
 
 
燈籠坂大師
富津市萩生 8-2
0439-80-1291(富津市観光協会)
参拝時間:制限なさそう

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