モーションウィジット

2018年12月31日月曜日

【散歩】千代田区と中央区の境界の謎を知って

人形町から小伝馬町へ、人形町通りを進んでいきます。
 
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読売IS本社ビルというところに、何やらこれは…絵かな。
 
何かというと、この地に昔建っていた「末廣」という寄席。
銀座と呼ばれた場所あれば、寄席の一つや二つあっても当然ですね。
 
風情があっていいなぁ。
 
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その隣には、「玄冶店跡」の案内板。
岡本玄冶という江戸時代初期の名医がこの地に住んでいて、土地に借家を建てて庶民に貸していたことからこの名前がついたようです。
 
他人思いのお医者さんだったんでしょうね。
 
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牢屋敷跡に行く前にもう1ヶ所、神田八丁堀跡に。
 
駅の八丁堀とは別の八丁堀があった場所で、振袖火事の後に作られた掘。
現在は埋め立てられて、千代田区と中央区の境界線になっているんだそうです。
 
へぇ。
千代田区と中央区は、どこがどっちだかわかりにくいものですけど、こういう分け方だったのか。
 
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そんな過程を経て、小伝馬町牢屋敷跡に到着。
 
現在は十思スクエアという建物、十思公園がその一部だったらしい。
十思スクエア別館の横に、当時の石が積んであります。
 
十思スクエアというのは元小学校で、確か従兄弟が通っていた小学校じゃなかったっけかな。
この近辺に昔住んでいたビルがあったはずと、少し歩きまわってみたんですけど、40年前と景色が全く変わっていてどこだかよくわからず。
 
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ところで、牢屋敷のジオラマはどこにあるんだろう。
十思スクエア別館内だったという記憶があったんですけど、案内が見当たらず…
 
お、これか。
 
窓に貼ってある小さな紙、これに小伝馬町牢屋敷展示館と書いてあるぞ。
なになに、別館内のエレベーターホールってことは、この建物に入って行っていいんだな。
 
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あ、あった。
展示館と言っても、エレベーターホールにこのジオラマがあって、あとは展示パネルが数枚あるのみ。
 
ジオラマはそこそこ大きくて、ガラスだか透明プラスチックだかに覆われて見にくいものの、まぁまぁの出来栄え。
 
あ、西大牢って「立花登 青春手控え3」に出てたな。
拷問蔵…当時は残酷だったんだよなぁ。
 
もう少し見やすい工夫をしてくれればいいのにな。
せっかくのジオラマ、ちょっと勿体ない印象でした。
 
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十思公園に戻ると、これは…松陰終焉地か。
 
吉田松陰、小伝馬町で斬首されたのは1859年。
この碑は後世に作られたものですけど、かの吉田松陰に繋がる碑がこんなところにひっそり。
 
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そうか。
小伝馬町牢屋敷は未決囚の拘置所というだけでなく、ここで死刑も執行されていたのか。
 
この地で死刑になった人の数、200年間で2万人以上とのことなので毎年100人、3日に1人。
その他牢内で亡くなった人も多数、そんなに気軽に来るところじゃないかも。
 
とはいえ、江戸の歴史を語る場所、都心でもあるしぜひ一度どうぞ。
 
 
小伝馬町牢屋敷展示館
03-3546-5346
中央区日本橋小伝馬町4-4
利用時間 9:00~20:00
 

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