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2023年11月8日水曜日

【旅行】織田・徳川と武田の決戦地、長篠を観光

【この記事のポイント】
・織田・徳川と武田の合戦があった長篠城、城好きにはたまらない魅力があったなと。



蒲郡旅行最後の観光地は長篠城。
距離が近いのかと言われると、決してそんなことはないんですけどね。

長篠城は新東名の新城ICの近く、この後皆さんが向かうのが名古屋と鎌倉で、我々は浜松に車を返却に。
そんな事情を考えると、いい頃合いのスポットだと考えたという訳です。

蒲郡からは1時間ほど、道もさほど難しくなくスムーズに到着。
少々不格好な建物は資料館ですけど、これならここが城だったと認識はし易い。

長篠といえば、織田・徳川連合軍と武田軍の決戦が行われたことで有名ですよね。

『どうする家康』でも登場、橋本さとし演じる山県昌景が派手に戦死するシーンのもありました。
あれは長篠城ではなく近くの設楽原、包囲された長篠城を織田・徳川軍が救援にきて、設楽原で一大決戦にとなったというのが大まかな流れです。

長篠城は豊川と宇連川が合流する舌状台地にあり、これらの川に守られた天然の要害。
長篠城を包囲した武田軍15,000に対して、奥平信昌率いる500の兵で守っていたという数字を見ても城としての固さが伺えると思います。

尤も、この時の武田軍は徳川軍を誘い出すのが目的でもあったようなので、すぐには城を落とさなかった、という事情もあったのでしょう。

城の遺構はしっかりと残っており、空堀や高い土塁も確認することができます。

本丸は野球も余裕でできる広さ、真っ平らに整備されており、かなり大規模な工事が行われたんだろうなという雰囲気。

武田軍の五砦の解説、城のすぐ南に陣を構えて包囲していたようです。

このうちの一つ、鳶ヶ巣山砦は酒井忠次隊の奇襲攻撃をうけ、残る4つも含めて全て落とされ武田方は敗戦。
その翌日に設楽原での決戦が行われることになります。

鳥居強右衛門の磔、「どうする家康」では岡崎体育が演じてましたね。

「お味方は来ますぞ〜」と叫んだ後、なぜ城に向かって逃げなかったのか。
長年の疑問は、豊川により削られた断崖絶壁がかなり深く、城に近づくことは不可能だったというのが現地でみるとよくわかります。

え?火縄銃の射的!?
冷静になると、本物の火縄銃を撃たせる訳がないというのは明らかですね。

こんなものに心が動いてしまった不覚を密かに恥じながら、同行の皆さんとはここでお別れ。
また来年も旅行に行きましょう!と挨拶をして、我々は浜松に向かって出発。




長篠城址史跡保存館
愛知県新城市長篠市場22-1
0536-32-0162
営業時間 9:00〜17:00
定休日 火

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