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2025年8月29日金曜日

【博物館】縄文人の骨に大興奮!文京ふるさと歴史館は知的好奇心とツッコミどころの宝庫

【この記事のポイント】
・『東京都水道歴史館』から足を延ばして『文京ふるさと歴史館』へ。先史時代の縄文人の骨や、文京区の地名が由来となった「弥生式土器」など、文京区の深い歴史に触れます。明暦の大火の火元に関する謎、驚くほど古い統計データなど、知的好奇心とツッコミどころがある展示物でした。



『東京都水道歴史館』で江戸のインフラ史を堪能した後は、そのままウォーキングを続行。
次なる目的地は、『文京ふるさと歴史館』です。

ここは区がその土地の歴史や文化について展示・解説しているよくある施設。
水道歴史館から歩いて10分ほどの距離だったので、せっかくだからついでに見学してみようかなと。

意外とモダン、そして歴史の深さ




到着してみると、建物は意外なほどにモダンなデザイン。
区営施設なのでもっと古風な建物を想像していました。

調べてみると1994年に開館したとのことですけど、古さは感じないですね。


館内に入り、まずは先史時代のコーナーから。
文京区は武蔵野台地の東端に位置する高台、なので水害などのリスクも少なく、古くから人々が住み着いていたようです。


文京区内には、本郷台地を中心に約30ヶ所もの縄文時代の遺跡が確認されているとのこと。
西片(にしかた)にある「動坂貝塚」、本郷にある「本郷弥生町貝塚」は有名らしいです。

これらの遺跡からは、土器や石器だけでなく、当時の人々の食生活を知る手がかりとなる動物の骨なども多数出土しているんだとか。
東京の中心地で、数千年前の人々の暮らしの痕跡に触れられるというのは、なんとも不思議な感覚。


おぉ、いきなり横たわる人骨、思わずびっくり。
もちろん、これは精巧に作られた複製です。

貝塚からは、当時の人々の骨も良好な状態で発掘されることが少なくないそう。
これは貝塚に捨てられた貝殻の主成分である炭酸カルシウムが、酸性の土壌を中和してくれるため。

通常であれば土に還ってしまう骨が、このアルカリ性の環境のおかげで、数千年もの時を超えて保存されるんだそうです。
貝塚は、まさに天然のタイムカプセルなんですね。

歴史の転換点となる地名、「弥生」




そして、弥生時代のコーナーへ。
「弥生」という時代区分、実はこの文京区の地名が由来になっていることをご存知でしょうか。

1884年、文京区弥生でそれまでの縄文土器とは明らかに様式の異なる土器、薄手で硬質なものが発見された。
この土器が「弥生式土器」と名付けられ、それがそのまま時代を象徴する名称となったんですよ。

日本史の転換点となる地名が文京区にあったというわけですね。
この発見がなければ、今頃私たちは、この時代を別の名前で呼んでいたのかもしれないのか。

江戸の大火と、統計データの古さの謎




時代は下って江戸時代。
展示パネルには、江戸の歴史を揺るがした「明暦の大火」についての興味深い記述がありました。

この大火の火元は3箇所あったとされていますが、そのうちの2箇所じは文京区。
当時の文京区は、まだ町奉行の支配が始まったばかりの、江戸の街のいわば「端っこ」でした。

そんな目の届きにくい場所から、北西の強風が吹くタイミングで火事が起きた… う〜ん、これはどう考えても怪しい。
誰かが仕組んだ事件の香りプンプンです。


そして、最後に度肝を抜かれたのが、このパネル。
文京区の医療機器産業について解説しているのですが、その文章を読んでみると…

「文京区の医療機器産業

本郷・湯島あたりには、いったいどれくらいの医療機器の会社があると思いますか。
東京23区で451社ある事業所のうち、実に60%余りまでが文京区にあつまっています。(昭和60年統計)」

なぬ? 昭和60年統計?!
昭和60年…1985年ということは、今からもう40年も前じゃないですか。

もちろん、展示物を頻繁に更新できないという博物館の事情も理解できます。
とはいえ、さすがにこのデータの古さはちょっと考えたほうがいいんじゃないかなと。

というわけで、今日はそろそろお終い。
文京ふるさと歴史館の記事、明日ももう少し続きます。




【おまけのワンポイント】
・「弥生式土器」が発見された「向ヶ丘貝塚(本郷弥生町貝塚)」の跡地は、現在、東京大学の敷地内(農学部)にあり、記念碑が建てられています。歴史館とあわせて訪れてみると、歴史の教科書の世界が、よりリアルに感じられるでしょうね。

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