・『東京都水道歴史館』探訪の続き。明治維新後の水道インフラ崩壊の危機から、近代水道の夜明けまでを追体験。人口爆発と水道網の発展、そして地球の2/3周分にも及ぶ東京の水道管の維持管理の凄さに、現代生活のありがたみを改めて実感。
昨日に引き続き、『東京都水道歴史館』の探訪レポートです。
江戸時代の高度な水道システムに感嘆した後は、1階の展示フロアへ。
そこには近代日本の幕開けとともに訪れた、新たな物語が待っていました。
明治維新と、崩壊寸前のインフラ
1階に移動して、まず目に飛び込んできたのは「水の道の危機」という、なんとも不穏なパネル。
江戸幕府が崩壊し、新しい時代が訪れる。
それは同時に、それまで幕府が管理してきたインフラシステムの混乱をも意味していた。
諸大名や町人が江戸を離れ、人口が減少。
税収も不安定になり、人々の生活を支えてきた江戸上水も保守管理が行き届かずに崩壊寸前だったんだと。
なるほど、そりゃそうだよな。
時代の大きな転換点には、こうした知られざるインフラの危機が常に潜んでいるものなんですね。
近代水道の夜明け、淀橋浄水場から
この危機を乗り越えるべく、東京では近代的な水道システムの整備が急務に。
その象徴が、新宿に建設された「淀橋浄水場」。
ここで初めて、水をろ過し、衛生的な水を鉄管で圧力をかけて供給するという、現代と同じ方式が採用されたんだとか。
今日では新宿高層ビル群や新宿中央公園になっている一帯、浄水場が廃止されたのは1965年とそれほど昔のことではないんですよね。
そして、近代水道の整備がもたらしたもう一つの重要な恩恵が、消火用水の確保。
木造家屋が密集していた東京にとって、火事は常に最大の脅威。
以前訪れた名古屋の水の歴史資料館でも学びましたが、水道は単なる飲料水の供給路であるだけでなく、都市を守るための重要な防火インフラなんですね。
そういえば、展示されていたような角柱型の消火栓、最近は都内でもあまり見かけなくなったような。
これは景観への配慮や、駐車の妨げにならないようにと、その多くが地下式や壁面埋め込み式に置き換えられていったからだそうです。
データで見る、東京の発展と水道の歴史
東京の人口と水道料金、そして施設能力の推移をまとめた非常に興味深いグラフです。
- 明治時代、人口200万人程度だった東京の水道料金は1円未満。
- 昭和に入り人口は500万人を突破するも、第二次世界大戦で激減。
- そして戦後、1960年頃に人口は1000万人を突破。この急激な人口爆発に対応するため、水道の施設能力も一気に拡大していき、水道料金も1,000円に。
まさに、東京という都市の発展の歴史そのものが、このグラフに凝縮されていますね。
大きさの異なる水道管がずらりと並んでいるだけなのですが、なぜか渦巻きのような錯覚に。
見つめていると、目がくるくると回って、吸い込まれてしまいそうな…
巨大インフラと、それを支える人々
「小河内ダム」。この名前、なんだか聞き覚えがあるぞ。
小学校の社会で習ったのか、それとも展示されている記念切手を知っていたのか…
このダムはどこにあるんだろう?と読んでみると、え?
なんと、奥多摩湖のことだったんですね。
地下に埋設された水道管の漏水を検知するための機械。
私も実際に耳をあてて音を聞いてみましたが、展示用なので「ポチャン、ポチャン」と、非常に分かりやすい音がしていました。
もちろん、実際の現場はこんなに簡単ではないはず。
きっとこの道何十年という「達人」がいて、わずかな音の違いから漏水箇所を神業のように特定するんだろうな、なんて想像してしまいます。
そして、最後に度肝を抜かれたのがこのデータ。
東京の地下に張り巡らされた水道管の総延長は、およそ2万7000km。
地球1周が約4万kmですから、その3分の2にも達する長さです。
このとてつもない規模の設備を、24時間365日、休むことなく維持管理してくれている東京都水道局の方々には、本当に頭が下がります。
最後に
というわけで、2日間にわたってお届けした『東京都水道歴史館』。
江戸時代の知恵から、近代化の苦悩、そして現代を支える巨大インフラの舞台裏まで、まさに時空を超えた水の旅を体験することができました。
蛇口をひねれば当たり前のように安全な水が出てくる。
その「当たり前」が、どれだけ多くの人々の知恵と努力、そして歴史の積み重ねの上になりたっているのか。
そんな壮大な物語を、無料で公開してくれていることにも、改めて深く感謝です。
さて、私の知的好奇心という名のダムも、すっかり満水。
このエネルギーを元に、また次の目的地へと向かうことにします。
【おまけのワンポイント】
・文中にも書きましたけど、今回登場した「淀橋浄水場」の跡地は新宿副都心の高層ビル群や新宿中央公園になっています。歴史館で学んだ後に、実際にその場所を訪れてみると、「かつてここが東京の近代水道を支えた場所だったのか」とまた違った目でみることができるでしょうね。
0 件のコメント:
コメントを投稿