モーションウィジット

2025年8月31日日曜日

【グルメ】 北海道限定「リボンナポリン」が秋葉原に!?ご当地ドリンクとのまさかの出会い

【この記事のポイント】
・文京区の博物館巡りの後、秋葉原までウォーキング。目的地は全国の美味しいものが集まるセレクトショップ『日本百貨店しょくひんかん』。北海道限定の「リボンナポリン」で喉を潤し、他にもいくつか地方の味をゲット。


文京区の博物館を2つ巡って知的好奇心を満たした後は、秋葉原までウォーキング。
文京ふるさと歴史館からJR秋葉原駅まではおよそ3km弱、暑さのなかでも1時間とかからない程よい距離です。


この日の最終目的地、JR秋葉原駅直結の『日本百貨店しょくひんかん』。
こだわりの食料品や雑貨を全国から集めた、いわば「食のセレクトショップ」ですね。

バイヤーさんが日本中を歩き回り、その土地ならではの逸品を発掘してくるというコンセプト。
訪れるたびに新しい発見がある、私のお気に入りの場所です。

北海道のソウルドリンク?「リボンナポリン」との対面



まずは自分の水分補給、この日のウォーキングで火照った身体を癒やすために選んだのはこれ。


「リボンナポリン」、ご存知でしょうか。
これはポッカサッポロフード&ビバレッジが製造する、北海道限定販売の炭酸飲料です。

オレンジ色の鮮やかな見た目が特徴で、その味わいは、例えるならファンタオレンジをもう少しマイルドにしたような、どこか懐かしい甘さなんです。

噂には聞いていたものの、まさか秋葉原で出会えるとは。
ご当地の味で、失った水分とミネラルを補給します。

好奇心を刺激する、こだわりの逸品たち



さて、店内を巡りながら気になったものをいくつか購入してみました。


そういえば、自宅の七味唐辛子が切れていたなと、手に取ったのがこちら。
「鬼びっくり」という、なんとも物騒なネーミング。これは相当辛いのかな。

製造しているのは香川県にある「山清」。
厳選された国産の唐辛子をベースに、山椒や胡麻、陳皮などを絶妙なバランスでブレンドした、香り高い一品だそうです。

厳選した辛みの強い唐辛子、風味豊かな薬味を独自に配合した七味なんだそう。
鬼がびっくりするほどの辛さなのか、それともその美味しさに鬼が驚くのか。
試してみるのが楽しみです。


なんだかレトロで懐かしいパッケージに惹かれて、思わずカゴに入れてしまったのが、この「紀州南高梅飴」。
和歌山県の「うめ工房」という会社が作っているようです。

砂糖と水飴をじっくり煮詰めた、昔ながらのべっこう飴。
その中に、フリーズドライにした紀州南高梅の梅肉が練り込まれているのだとか。

早速家に帰って食べてみると、べっこう飴の優しい甘さと、南高梅のきゅんとした酸味。
これを一口目から感じられるよう、飴の形を調整してあるようです。

この美味しさ、夏場の塩分補給にもってこいなんじゃないかなと。

最後に



他にもいくつか購入したものはありますが、そのご紹介はまた後日。

厳しい暑さの中でのウォーキング、なかなかに骨が折れるものではありましたが、こうして知らない土地の歴史に触れ、そして美味しいものに出会うことができれば、その疲れも吹き飛んでしまうものですね。




【おまけのワンポイント】
・『日本百貨店』は、秋葉原の「しょくひんかん」の他に、御徒町の「おかちまち」、そして日本橋や町田などにも店舗を展開しているとのこと。それぞれ品揃えのコンセプトが少しずつ違うので、店舗を巡ってみるのも面白そうです。

2025年8月30日土曜日

【博物館】昌平黌から東京大学へ!文京区は日本の知と文化の聖地だった

【この記事のポイント】
・『文京ふるさと歴史館』探訪の後編。江戸時代の商家や武家屋敷、そして小石川養生所など、歴史ドラマでお馴染みの舞台のリアルな姿に触れます。菊人形の生首に肝を冷やしつつも、文京区が「文の京」と呼ばれるに至った、多くの文人たちの足跡を辿ります。


昨日に引き続き、『文京ふるさと歴史館』の探訪レポート。
1Fは通史を網羅する流れでしたけど、2階は江戸時代以降の文化についての展示でした。

江戸の暮らしと、武家の街




ん? この「本郷カネヤス」という名前、なんか聞き覚えがあるな…

ネットで調べてみると、「本郷もかねやすまでは江戸の内」。
あ、これだ、本郷三丁目にあったお店のことですね。
享保年間(1716~1736)に歯医者の兼康祐悦が乳香散という歯磨き粉を売り出し、これが当たって店が繁盛していたんだそう。

当時は砂糖が貴重品、なので虫歯になる人は少なかったようですけど、ひとたび虫歯になるとその治療法は「抜く」か「焼く」か。
麻酔もない時代、その痛みは想像を絶しますね。


文京区は江戸城に近い高台、この立地で多くの武家屋敷、特に大名の上屋敷が置かれていたんだとか。
加賀前田家や水戸徳川家といった、幕府の中でも特に有力な大名たちが広大な屋敷を構えていたんです。

現在の東京大学本郷キャンパスは、かつての加賀藩上屋敷跡地だというのは有名な話。


時代劇ファンにはお馴染みの「小石川養生所」。
八代将軍・徳川吉宗が、貧しい人々のために設置した無料の医療施設です。

現在の東京大学大学院理学系研究科附属植物園(小石川植物園)の中に、その井戸の跡が残っているんだそう。

近代の文化と、信仰の形




えぇと、次は「近代の娯楽と風俗」のコーナーか…

おぉっと!
今度は生首が転がっていて、心臓が跳ね上がります。

よく見れば、これは菊人形の頭。
本物よりは少々小ぶりではあるものの、この形状のものが床に置いてあるというのは心臓によろしくない。


湯島天神(湯島神社)では、菊人形展が名物として大変な人気を博していたんだそう。
今日でも11月に開催されており、私も一度観たことがあります。

菊の花や葉で飾り付けた等身大の人形は、歴史上の人物や物語の登場人物。
江戸から続く庶民の娯楽、その精巧な技術はまさに職人技。

「文の京」たる所以



この建物、今日では「湯島聖堂」として知られる「昌平黌(しょうへいこう)」。

五代将軍・徳川綱吉によって建てられた学問所で、孔子廟を起源とした江戸幕府直轄の施設。
近代日本の教育の礎を築いた、まさに「学問の中心地」。


「文京区」という区名。
これは昭和22年、旧小石川区と旧本郷区が合併する際に、小石川区役所の職員が提案した名称だそうです。

この地には、夏目漱石、森鴎外、樋口一葉、石川啄木など数えきれないほどの文人たちが居を構え、多くの名作を生み出してきています。
まさに「文(ふみ)の京(みやこ)」と呼ぶにふさわしい、豊かな歴史と文化が息づいているんですね。

最後に



というわけで、2日間にわたってお届けした『文京ふるさと歴史館』。
先史時代から近代に至るまで、この土地に刻まれた幾重もの歴史のレイヤーを効率的に巡る経験になりました。

明暦の大火の謎、弥生式土器発見の地、そして多くの文人たちの息遣い。
普段何気なく歩いている街も、その歴史を知ることで、全く違った風景に見えてくる。
博物館巡りって面白いものですね。




【おまけのワンポイント】
・文京区には、今回紹介した文人たちの旧居跡や記念館が数多く点在しています。「文京区立森鴎外記念館」や、漱石が晩年を過ごした「漱石山房記念館」などを巡る文学散歩も、好きな方にはたまらないでしょう。

2025年8月29日金曜日

【博物館】縄文人の骨に大興奮!文京ふるさと歴史館は知的好奇心とツッコミどころの宝庫

【この記事のポイント】
・『東京都水道歴史館』から足を延ばして『文京ふるさと歴史館』へ。先史時代の縄文人の骨や、文京区の地名が由来となった「弥生式土器」など、文京区の深い歴史に触れます。明暦の大火の火元に関する謎、驚くほど古い統計データなど、知的好奇心とツッコミどころがある展示物でした。



『東京都水道歴史館』で江戸のインフラ史を堪能した後は、そのままウォーキングを続行。
次なる目的地は、『文京ふるさと歴史館』です。

ここは区がその土地の歴史や文化について展示・解説しているよくある施設。
水道歴史館から歩いて10分ほどの距離だったので、せっかくだからついでに見学してみようかなと。

意外とモダン、そして歴史の深さ




到着してみると、建物は意外なほどにモダンなデザイン。
区営施設なのでもっと古風な建物を想像していました。

調べてみると1994年に開館したとのことですけど、古さは感じないですね。


館内に入り、まずは先史時代のコーナーから。
文京区は武蔵野台地の東端に位置する高台、なので水害などのリスクも少なく、古くから人々が住み着いていたようです。


文京区内には、本郷台地を中心に約30ヶ所もの縄文時代の遺跡が確認されているとのこと。
西片(にしかた)にある「動坂貝塚」、本郷にある「本郷弥生町貝塚」は有名らしいです。

これらの遺跡からは、土器や石器だけでなく、当時の人々の食生活を知る手がかりとなる動物の骨なども多数出土しているんだとか。
東京の中心地で、数千年前の人々の暮らしの痕跡に触れられるというのは、なんとも不思議な感覚。


おぉ、いきなり横たわる人骨、思わずびっくり。
もちろん、これは精巧に作られた複製です。

貝塚からは、当時の人々の骨も良好な状態で発掘されることが少なくないそう。
これは貝塚に捨てられた貝殻の主成分である炭酸カルシウムが、酸性の土壌を中和してくれるため。

通常であれば土に還ってしまう骨が、このアルカリ性の環境のおかげで、数千年もの時を超えて保存されるんだそうです。
貝塚は、まさに天然のタイムカプセルなんですね。

歴史の転換点となる地名、「弥生」




そして、弥生時代のコーナーへ。
「弥生」という時代区分、実はこの文京区の地名が由来になっていることをご存知でしょうか。

1884年、文京区弥生でそれまでの縄文土器とは明らかに様式の異なる土器、薄手で硬質なものが発見された。
この土器が「弥生式土器」と名付けられ、それがそのまま時代を象徴する名称となったんですよ。

日本史の転換点となる地名が文京区にあったというわけですね。
この発見がなければ、今頃私たちは、この時代を別の名前で呼んでいたのかもしれないのか。

江戸の大火と、統計データの古さの謎




時代は下って江戸時代。
展示パネルには、江戸の歴史を揺るがした「明暦の大火」についての興味深い記述がありました。

この大火の火元は3箇所あったとされていますが、そのうちの2箇所じは文京区。
当時の文京区は、まだ町奉行の支配が始まったばかりの、江戸の街のいわば「端っこ」でした。

そんな目の届きにくい場所から、北西の強風が吹くタイミングで火事が起きた… う〜ん、これはどう考えても怪しい。
誰かが仕組んだ事件の香りプンプンです。


そして、最後に度肝を抜かれたのが、このパネル。
文京区の医療機器産業について解説しているのですが、その文章を読んでみると…

「文京区の医療機器産業

本郷・湯島あたりには、いったいどれくらいの医療機器の会社があると思いますか。
東京23区で451社ある事業所のうち、実に60%余りまでが文京区にあつまっています。(昭和60年統計)」

なぬ? 昭和60年統計?!
昭和60年…1985年ということは、今からもう40年も前じゃないですか。

もちろん、展示物を頻繁に更新できないという博物館の事情も理解できます。
とはいえ、さすがにこのデータの古さはちょっと考えたほうがいいんじゃないかなと。

というわけで、今日はそろそろお終い。
文京ふるさと歴史館の記事、明日ももう少し続きます。




【おまけのワンポイント】
・「弥生式土器」が発見された「向ヶ丘貝塚(本郷弥生町貝塚)」の跡地は、現在、東京大学の敷地内(農学部)にあり、記念碑が建てられています。歴史館とあわせて訪れてみると、歴史の教科書の世界が、よりリアルに感じられるでしょうね。

2025年8月28日木曜日

【博物館】 水道管が地球の2/3周分!?『東京都水道歴史館』で知った東京を支える巨大インフラ

【この記事のポイント】
・『東京都水道歴史館』探訪の続き。明治維新後の水道インフラ崩壊の危機から、近代水道の夜明けまでを追体験。人口爆発と水道網の発展、そして地球の2/3周分にも及ぶ東京の水道管の維持管理の凄さに、現代生活のありがたみを改めて実感。



昨日に引き続き、『東京都水道歴史館』の探訪レポートです。

江戸時代の高度な水道システムに感嘆した後は、1階の展示フロアへ。
そこには近代日本の幕開けとともに訪れた、新たな物語が待っていました。

明治維新と、崩壊寸前のインフラ




1階に移動して、まず目に飛び込んできたのは「水の道の危機」という、なんとも不穏なパネル。

江戸幕府が崩壊し、新しい時代が訪れる。
それは同時に、それまで幕府が管理してきたインフラシステムの混乱をも意味していた。

諸大名や町人が江戸を離れ、人口が減少。
税収も不安定になり、人々の生活を支えてきた江戸上水も保守管理が行き届かずに崩壊寸前だったんだと。

なるほど、そりゃそうだよな。
時代の大きな転換点には、こうした知られざるインフラの危機が常に潜んでいるものなんですね。

近代水道の夜明け、淀橋浄水場から




この危機を乗り越えるべく、東京では近代的な水道システムの整備が急務に。

その象徴が、新宿に建設された「淀橋浄水場」。
ここで初めて、水をろ過し、衛生的な水を鉄管で圧力をかけて供給するという、現代と同じ方式が採用されたんだとか。

今日では新宿高層ビル群や新宿中央公園になっている一帯、浄水場が廃止されたのは1965年とそれほど昔のことではないんですよね。


そして、近代水道の整備がもたらしたもう一つの重要な恩恵が、消火用水の確保。

木造家屋が密集していた東京にとって、火事は常に最大の脅威。
以前訪れた名古屋の水の歴史資料館でも学びましたが、水道は単なる飲料水の供給路であるだけでなく、都市を守るための重要な防火インフラなんですね。

そういえば、展示されていたような角柱型の消火栓、最近は都内でもあまり見かけなくなったような。
これは景観への配慮や、駐車の妨げにならないようにと、その多くが地下式や壁面埋め込み式に置き換えられていったからだそうです。

データで見る、東京の発展と水道の歴史




東京の人口と水道料金、そして施設能力の推移をまとめた非常に興味深いグラフです。

- 明治時代、人口200万人程度だった東京の水道料金は1円未満。
- 昭和に入り人口は500万人を突破するも、第二次世界大戦で激減。
- そして戦後、1960年頃に人口は1000万人を突破。この急激な人口爆発に対応するため、水道の施設能力も一気に拡大していき、水道料金も1,000円に。

まさに、東京という都市の発展の歴史そのものが、このグラフに凝縮されていますね。


大きさの異なる水道管がずらりと並んでいるだけなのですが、なぜか渦巻きのような錯覚に。
見つめていると、目がくるくると回って、吸い込まれてしまいそうな…

巨大インフラと、それを支える人々




「小河内ダム」。この名前、なんだか聞き覚えがあるぞ。
小学校の社会で習ったのか、それとも展示されている記念切手を知っていたのか…

このダムはどこにあるんだろう?と読んでみると、え?
なんと、奥多摩湖のことだったんですね。


地下に埋設された水道管の漏水を検知するための機械。
私も実際に耳をあてて音を聞いてみましたが、展示用なので「ポチャン、ポチャン」と、非常に分かりやすい音がしていました。

もちろん、実際の現場はこんなに簡単ではないはず。
きっとこの道何十年という「達人」がいて、わずかな音の違いから漏水箇所を神業のように特定するんだろうな、なんて想像してしまいます。


そして、最後に度肝を抜かれたのがこのデータ。

東京の地下に張り巡らされた水道管の総延長は、およそ2万7000km。
地球1周が約4万kmですから、その3分の2にも達する長さです。

このとてつもない規模の設備を、24時間365日、休むことなく維持管理してくれている東京都水道局の方々には、本当に頭が下がります。

最後に



というわけで、2日間にわたってお届けした『東京都水道歴史館』。
江戸時代の知恵から、近代化の苦悩、そして現代を支える巨大インフラの舞台裏まで、まさに時空を超えた水の旅を体験することができました。

蛇口をひねれば当たり前のように安全な水が出てくる。
その「当たり前」が、どれだけ多くの人々の知恵と努力、そして歴史の積み重ねの上になりたっているのか。

そんな壮大な物語を、無料で公開してくれていることにも、改めて深く感謝です。

さて、私の知的好奇心という名のダムも、すっかり満水。
このエネルギーを元に、また次の目的地へと向かうことにします。




【おまけのワンポイント】
・文中にも書きましたけど、今回登場した「淀橋浄水場」の跡地は新宿副都心の高層ビル群や新宿中央公園になっています。歴史館で学んだ後に、実際にその場所を訪れてみると、「かつてここが東京の近代水道を支えた場所だったのか」とまた違った目でみることができるでしょうね。

2025年8月27日水曜日

【博物館】歴史から消えた上水が4つも!?『東京都水道歴史館』で江戸の水道史に迫る

【この記事のポイント】
・休日の午後、ウォーキングがてら御茶ノ水の『東京都水道歴史館』へ。江戸時代の高度な水道システムに驚きつつ、突如廃止された4つの上水の謎に遭遇。その意外な理由と、現代にも通じるインフラ管理の知恵に、東京の歴史の奥深さを学びました。



とある休日、この日の午前中はあいにくの雨模様。

ウォーキングは午後からにと思っていたんですけど… いざ雨が上がると、今度は強烈な日差しが照りつけます。
ただ歩くだけでは熱中症のリスクもある。

よし、都内にある小さな博物館を巡るちょっと知的なウォーキングに出かけることにしようか。

いざ、江戸の水道インフラを探る旅へ




スタート地点は、JR御茶ノ水駅。

ホーム上階に新しい通路が完成してから、初めてここを通ります。
狭いホームに乗降客も多い駅、この通路は安全対策に大きく貢献してくれることでしょう。

こういうインフラの進化は、見ていてワクワクしますね。



御茶ノ水駅からを5分ちょっと歩くと、目的地の『東京都水道歴史館』に到着。
以前、名古屋で同様の水道博物館を訪れて非常に面白かったので、東京の水道史もぜひ見てみたいと思っていたんです。

いきなりの謎、消えた四つの上水




館内に入り、まずはおすすめされた2階の「江戸上水」フロアから見学スタートです。


江戸時代の上水といえば、歴史の授業でも習う「神田上水」と「玉川上水」。
この二大上水のみだと思っていました。

展示パネルを見て驚き、え、あと4つも上水があったの?
千川上水、三田上水、青山、亀有上水…聞いたことがない名前ばかりです。

そしてさらに驚いたのが、その4つの上水が、いずれも1722年に廃止されたという事実。
人口が減ったわけでもないだろうに、一体なぜ?

大きな疑問符を頭に浮かべながら、次の展示へと進みます。

地名の由来と、驚きの木製水道管




これは、地名の「水道橋」の元となった、神田上水を通すための水道橋(懸樋)の模型。

川の上に、さらに水を渡すための橋を架ける。
江戸の土木技術の高さが窺えますね。


江戸市中の地下に張り巡らされた、木製の水道管。
石や檜の四角い「木樋(もくひ)」を組み合わせて作られていたそうです。

現代の水道管とは全く違うものの、これもまた先人の知恵だと感心。

四上水廃止の真相とは?




お、先ほどの四上水廃止の謎について、解説がありました。

- 江戸の人口は元禄年間に100万人を突破し、神田・玉川上水だけでは足りず、新たに4つの上水が開設された。
- しかし、享保七年(1722)、八代将軍・徳川吉宗の治世下に、この四上水は突然廃止される。
- 廃止理由は不明とされているが、儒学者・室鳩巣が提出した建議が影響したという説が有力。

その建議の内容とは、「地下を走る上水道が、江戸の地脈を分断して火災を誘発する」というもの。

地脈? それって、風水の話?
そんな非科学的な理由で、都市の重要インフラを止めてしまうなんて…

現代の感覚からすると信じがたいものの、当時は中国から伝来した風水もまた「科学」の一つとして捉えられていたんでしょう。
歴史の面白さは、こうした価値観の違いに触れられる点にもあります。


この上水廃止をきっかけに、江戸では掘り井戸の技術が進歩したのだとか。
時代劇でよく見る、長屋の井戸端会議の風景も、こうした歴史の上に成り立っていたんだなと、妙に納得してしまいました。

江戸の水道マネジメントシステム




この時代の水道は、自然の川が水源。
なので当然ながら、水量は一定ではありません。

そこで、幕府は「水番屋」という施設を設け、水番人が水量調整や水質管理、見回りを行っていたそうです。


さらに、この高度なインフラを維持・管理するための費用は、利用者から「普請金」や「水銀(みずぎん)」といった形で徴収していたんdとか。

まさしく、現代の水道料金システムそのもの。
江戸時代に、これほど洗練されたインフラマネジメントが行われていたとは、驚きの一言です。

今日の記事はここまでにしてと。
明日はこの続き、地名を東京と変えてからの水道史について書きますので、どうぞお楽しみに。




【おまけのワンポイント】
・今回紹介した玉川上水は、その一部が現在でも緑道として整備されており、人気のウォーキングコースになっています。歴史館で学んだ知識を頭に入れながら、実際に上水の跡を歩いてみると、江戸の人々の暮らしをよりリアルに感じることができそうです。

2025年8月26日火曜日

【グルメ】まさか?熱々じゃない皿うどんの衝撃!神田『九州 藩』の謎めく美味しさ

過去に何回か訪れたことのある九州料理店、覚悟を決めて会社を出たものの、やはりこの暑さには勝てん。
結局、歩く距離が短いこのお店に吸い込まれてしまいました。

神田の穴場、鎌倉河岸ビルの地下へ




お店があるのは、鎌倉河岸ビルの地下1階です。
ここには3軒の飲食店が軒を連ねていて、いずれも美味しいお店なんです。

神田駅からは少し歩く立地のためか、お昼時でも比較的落ち着いている。
まさに知る人ぞ知る穴場スポットと言えるでしょうね。


ランチメニューは、ちゃんぽんや各種定食など、どれも一律950円。

今日の気分は無性にあのパリパリの麺、「皿うどん」が食べたかったんですよ。
このお店は、私のような一人客でも気兼ねなく入れるのが、本当にありがたいんです。

温い餡の謎、これは夏の優しさか?




注文してから、5分もかからずに皿うどんが到着。
このスピーディーさも、忙しいランチタイムには嬉しいポイント。

エビや豚肉、そしてたっぷりの野菜が乗った、ボリューム満点の一皿。
よし、それでは頂きましょう。


まずは、餡と麺を絡めて一口…
ん、あれ?

餡がいつものようなアツアツではない。
明らかに「ぬるい」と感じる温度です。

ん〜、これは厨房で何かのミスがあったのだろうか。
最初はそう感じたものの、ん?もしかして。
これ、意図的なものなんですかね。

厳しい暑さが続くこの季節、アツアツの料理を食べれば、当然のことながら汗だくに。
この鎌倉河岸ビルはオフィス街の独立したビルなので、食事を終えたお客さんはまた炎天下を歩いて会社に戻るわけです。

だとしたら、これは少しでも汗をかかせないようにという、お店側の優しさ、夏仕様の温度設定かも?

もちろん、真相は不明。
とはいえ、ぬるいおかげで私もハフハフせずに、スピーディーに食べられるのは紛れもない事実でした。

餡の温度はさておき、その味は間違いなく本物。
魚介と豚肉の旨味が溶け出した餡は、野菜の甘みを引き立て、パリパリの細麺との相性も抜群。

半分ほど食べたところで、テーブルの酢をかければ、また違った酸味が加わり、最後まで飽きずに食べ進みます。

最後に



というわけで、一人で訪れた『九州 藩』での、少し不思議な皿うどん体験。

あの「ぬるさ」が、果たして仕様だったのか、それとも単なるバグだったのか。
この温度異常は、きっと店主の優しさという名の「夏限定の秘策」だったのだと、そう信じたいと思います。

一人でも美味しいランチにありつけたことに感謝。
ご馳走さまでした。






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