モーションウィジット

2023年7月23日日曜日

【旅行】雨のグラバー園、この地に住んだ親子の生きざま

【この記事のポイント】
・グラバーの息子は倉場富三郎、原爆の後に長崎で自殺していたとは



大浦天主堂に来たついで、有名なグラバー園も観ていこう。

グラバー邸という名前が一般的ですけど、市内に点在していた洋館も移築・復元してグラバー園という名になっています。
階段を昇り、更にあの上までいくのはちょっとキツいかなと思っていると...

なんだ、エスカレーターがあるじゃないですか。

そういえば『ブラタモリ』でもやっていたけど... あれはエスカレーターだったっけ?
ん? このエスカレーターには段差がないので、「斜めに動く歩道」が正確な名称かな。

園内はかなり広く、どれがグラバー邸なんだか探してしまうほど。
雨の合間なので効率的に、ちゃっちゃと観て廻ることにしましょう。

最も高いところにあるのは2階建ての旧三菱第2ドックハウス、三菱造船所に建てられた外国人乗組員用の宿舎。
中も観ることができるものの、皆疲れたようで言葉が少なくなってきたので止めておきましょう。

雨霧がかかって見通しが悪いけど、これが有名なグラバー邸から眺める長崎ね。
端も美しく、たしかに素晴らしい風景だなと納得です。

グラバー邸は最も低いところにあって、実は「斜めに動く歩道」を利用する必要はなかったんですよね。
半円形、庇が巡らされたこの建物は個性的な造り。

グラバーといえば、幕末に武器商人として活躍した人物というのはご存知かなと。

来日したのは1859年の長崎開港直後、当時はまだ21歳という若さ。
スコットランド生の沿岸警備隊1等航海士の家に生まれ、8人兄弟姉妹の5番目だったそうで、国外にチャンスを求めた、ということなんでしょう。

グラバーは、明治維新後に何をやっていたか。
実は1911年に亡くなるまで日本にいて、晩年は東京に住んでいたんだそう。

妻は日本人のツルさん、実はお子さんがおり名前は倉場富三郎。
「倉場」は... そう「グラバー」のもじりですね。

太平洋戦争時にスパイ嫌疑をかけられたり、長崎で建造された戦艦武蔵の機密保持を理由にグラバー邸を退去させられたり。
挙げ句の果てには原爆で長崎の街が壊滅的な被害をうけるなど不幸な晩年を送り、終戦直後に首吊り自殺したんだそうです。

以上、グラバー親子の栄枯盛衰。
グラバー邸にそんな説明はなかったものの、行ってみると調べたくなるもの。

メジャーな観光地も、意外に奥深い歴史を背負っているんですね。




グラバー園
長崎県長崎市南山手町8-1
095-822-8223
営業時間 8:00〜21:30(日〜水は〜18:00)

0 件のコメント:

コメントを投稿