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2023年7月30日日曜日

【旅行】大浦天主堂、キリスト教徒の信仰深さに改めて

【この記事のポイント】
・雨降り観光で約に立つのは雨雲レーダー、傘ミニマムで大浦天主堂に
・大量検挙の歴史にも負けず、脈々と続くキリスト教徒の信仰深さに驚く



この日の長崎は雨。

そう書き始めると、「ああ~長崎は~」と続けざるを得ず... か。
いや、歌はどうでもよくて、こういう時に役立つのは雨雲レーダー。

断続的に降るのなら、今は外出せず少し待った方がいいとか。
何分後に歩き始めれば傘をささなくていい確率が高いとか、きめ細かく知ることができますよね。

この日はスマホとにらめっこ。
ちょうどいい頃合いを見計らって、次なる観光地の大浦天主堂に向かったのは15:00過ぎでした。

途中、弁天橋を渡ると大浦川は泥色。

直前にかなり激しい雨が降っていたので、その影響なんだろうなと。
あんな雨の中を歩かずに済んだのは雨雲レーダーのおかげ、テクノロジーの進歩に感謝ですね。

グラバー坂に到着、平日なのと雨で人影はまばらです。

空いているので、お土産を買うのに丁度いいかなと思いつつ、のんびりしているとまた雨が降ってきてしまうよな…
諦めて先を急ぐことにしましょう。

坂の上には大浦天主堂。

竣工は1864年末と江戸時代の末期、フランス人神父が建てたもの。
壁面の白さは漆喰によるもので、基本は煉瓦造りなんだそうです。

こうやって岡の上に建つ姿は美しく、国宝指定されるだけのことはあります。

入場料は1,000円とお高め。
しかも現金のみで電子マネー系が使えないというのは、宗教上の問題があるからなのかどうか。

ところで、大浦は「教会」ではなく「天主堂」というのは何故なのか。
「天主」というのは中国で使われていた言葉で神様のこと、完成した当時はカトリック教会という言い方に馴染みがなかったことから、天主堂と称したんだそうです。

ヨハネパウロ2世の像、そういえばこのお顔は記憶に残っています。

教皇就任が1978年、お亡くなりになったのが2005年、1981年に来日されて広島と長崎を訪問。
その時に大浦天主堂を訪れた記念、ということですね。

建物内は撮影禁止。
天主堂はまぁいかにも教会という造りで、荘厳ではあるものの特にに変わったものが置いてある訳でもなし、という印象でした。

大浦天主堂の他には旧羅典神学校と旧長崎大司教館があり、キリシタン博物館として利用されています。

ここで驚いたのは「崩れ」という言葉で、これはキリシタン大量検挙のこと。
長崎の浦上では4回もあり、最後の浦上四番崩れは1867年に発生、信徒68人が捕縛されたというのが発端。

明治維新後も含めて3,394名の信徒が流配となり、改宗を迫る拷問等で662名が命を落としたとのこと。
欧米諸国からも非難の的となり、1873年にキリスト教禁教を取りやめた、という顛末だったらしい。

「崩れ」は長崎だけでなく、日本各地にあったというのもまた驚きで、隠れキリシタンがこれほどまでに多かったとは知らずでした。

大浦天主堂の正式名称は「日本二十六聖殉教者聖堂」。
二十六聖殉教者というのは、豊臣秀吉によって処刑された宣教師やキリスト教徒で、磔になったのは長崎の西坂なのでその方向に向けて建てられているんだそう。

日本国内では、これほどまでに多くのキリスト教徒が亡くなっていたのか。
そんな事実を知り、神妙になって大浦天主堂を後にすることになりました。




大浦天主堂
長崎県長崎市南山手町5-3
095-823-2628
拝観時間 8:30〜18:30(冬季は〜17:30)

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