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2021年2月16日火曜日

【散歩】大日本帝国陸軍の演習地だった習志野、今日にも残る痕跡を巡る

津田沼からのウォーキング記事の第3段、習志野に残る旧日本帝国陸軍の遺構について。

習志野という地名は、この地で行われた陸軍大演習を見た明治天皇がつけたものだそうで、旧日本帝国陸軍には所縁のある地なんですね。

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旧鴇田家住宅がある実籾本郷公園、広々として長閑な雰囲気でいいところなんですよ。
こんな公園が近くにあれば、季節の移り変わりを五感で感じながら気持ちよくウォーキングできそう。

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かつてこの一帯に広がっていたであろう湿地も残されていて、このエリアは立入禁止。
立入禁止というのは自然保護のためでなく、うっかり入ってズブズブと沈んでいく人を出さないためですね。

鴨が多数、安心しきった様子で何か食べているのかな。
これも長閑さをカモし出す演出の一つなのカモ。(←すいません、つい…)

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実籾本郷公園近く、かつては新興住宅地であっただろうエリアの入口にあったオブジェ。
コロナ退散で鬼の面とは、江戸時代の集落みたいで洒落てますね。

そうか。
節分の近かったこの日、今の時勢では、鬼はむしろ人を守ってくれる歓迎すべき存在なのか。

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さて、陸軍遺構の1つ目は実籾駅の北側、ドイツ捕虜オーケストラの碑。

ドイツって、日本の味方じゃなかったっけというのは第二次世界大戦の話。
第一次世界大戦では、青島を巡って戦ったんでしたね。

日本に送られたドイツ軍捕虜は4,700人もいて、習志野には1,000人近くが収容されていたとのことです。
そのドイツ軍捕虜がオーケストラを演奏した、という記念碑。

捕虜は1919年に帰国したそうですけど、その後も日本に残ったユーハイム創業者も大阪・広島にいた捕虜の一人。
収容所内でソーセージを作っていて、その作り方を伝授してもらったというのはここ習志野なんだとか。

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この建物、窓が小さくて少々風変わり、これも「旧陸軍演習場内圍壁」という遺構に一つ。
中国の家屋を模して作られた砲台のミニチュアで、演習用に作られたんだそう。

普通に人が住んでいる建物なので、そうと知らなければ気付かないでしょうね。

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旧陸軍演習場内圍壁の北側にある道路、車道の横に妙に広い歩道があります。
これはこの地にあった鉄道連隊が作った演習線の跡だそう、なるほど、並木が鉄道っぽい雰囲気。

そういえば、津田沼駅前の千葉工業大学は鉄道連隊の跡地だったような。

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この門は鉄道連隊第三大隊の表門で、兵営入口に設けられたものだったそう。
演習線のうち、津田沼ー松戸間の跡は新京成線の線路になって、現代の交通にも役立っているというのが面白いですね。

住んでいるところの近くにも、平安、室町、江戸と近代という歴史。
そんなところをウォーキングって、結構面白いものでした。

遠出できないこんな時だからこそ、近所の魅力を見つめ直すいい機会、と捉えるのもいいんじゃないでしょうかね。




【今日のワンポイント】
・習志野には、今日でも陸自精鋭部隊の第1空挺団が駐屯。明治以降の伝統を受け継いでいるんですね。

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