モーションウィジット

2024年2月2日金曜日

【観光】地下鉄の運用を支えてきた人々のリアルな声に

【この記事のポイント】
・運転士さんや車掌さんの生の声が綴られたパネルは、地下鉄博物館の貴重な財産



地下鉄博物館で印象的だったのは、働く人の声のコーナー。

実際にその立場にいた人の生の声でしょうから、感慨深さや重みがあるものなんですよね。
以下、一部を引用させて頂きます。

--------
運転士の思い出 -昭和39年(1964)ごろ-

鉄道を職業に選んだ青年にとって最高の指定席。それは、ただ 一人のパノラマ運転台です。
多くの試験と訓練を受けて、初めて運転室に入り乗務を開始したとき、今までの希望が現実となり最高の気分です。不安と安全を心に最初の駅に無事停車、そして一往復の乗務を無事に終了、運転室を降りたとき、運転士になった感激が込みあげてきました。 運転士の仕事は一見、カッコ良く見えますが、多くのお客様を 無事に目的地まで運ぶことが使命です。その他にも列車や線路の 状態、天候の変化など多くの事に対応しなければなりません。
特にラッシュ時には、車内のお客様に不快感を与えない制動操作に心掛け、駅で降りたお客様に笑顔をいただいたときは疲れ が一瞬でなくなってしまいます。
永い間、電車を運転していると、様々なことにぶつかります。車両故障、線路の故障、人身事故など数え切れない色々な経験をしました。それらを無事にクリアーして乗務の仕事を終えたとき、 運転士になってよかったと思いました。
--------

昔の子供にとって運転士は憧れの職業の一つですけど、実際は安全に気を配ったり、細かな制動に配慮したり。
決して楽な仕事じゃない、ということが伝わってくる一文ですね。

--------
車掌の思い出 -昭和36年(1961)ごろ-

子供のころから、制服制帽に赤い腕章、鍵をズボンのポケットからたらし、颯爽と手笛を吹く地下鉄の車掌に憧れ、念願が叶い銀座線の車掌になりました。
お客様の生命と財産を預かり、乗務し、「停止位置は正確か、発車させて安全か」を指差確認呼称して、ドアの開閉スイッチを確実に操作し、安全確保に努め、お客様を安全快適に目的地までご案内しました。
思い出は、地下鉄博物館に展示してある日本最初の地下鉄電車1001号車や129号車に乗務したときです。これらの電車には 車掌室がなく、客室でドアの開閉やご案内をし、新米のころは か 恥ずかしさで顔が赤くなりました。
その中で、お客様に感謝しましたのは、雨の日の夕ラッシュ渋谷行です。新橋は右側、虎ノ門は左側、赤坂見附は右側、青山一丁目は左側と一駅ごとにホームが変わります。超満員の車内で声を掛け、位置を移動する際にお客様は嫌な顔もせず協力して下 さり、駅到着前に無事反対側に移動することができました。
「お客様ありがとうございます。」青春の思い出として今でも忘れ こころ ず心に刻まれております。
--------

安全配慮は運転士と変わらず、いや、むしろ車掌さんの方が気を使うんでしょう。
お客さんの協力があって、自分自身が電車の左右を移動して無事仕事をこなすことができたことに感謝している、心温まるエピソードですね。

その他、改札係や路線保安係の方でも同様の展示があり、一つひとつ読みながら、たしかにそうだよなぁ、そうだろうなと感慨にふけっていました。

東京地下鐡道株式会社の社訓、これもいい言葉。
敬神崇祖、誠心誠意・協力一致、報恩感謝、反省修養・質実剛健、身体強健・智能啓発、今日でも通用する立派な内容だと思います。

最後に、こりゃすごいと思ったのが千代田線のシミュレーター。
実際の車両の運転席部分をぶった斬ったもののようで、しかも画像にあわせて車体が揺れるらしい。
こんなリアルなものであれば、大人でも心底楽しめるんでしょうね。

地下鉄博物館の記事、明日が最終回です。




【おまけのワンポイント】
・千代田線が開業したのは1969年、北千住と大手町の9.9kmだったんだそう。小田急線とJR常磐線にまで乗り入れている長距離の電車である今日では、考えられない短さですね。

0 件のコメント:

コメントを投稿