モーションウィジット

2022年7月23日土曜日

【散歩】江戸時代に栄えた行徳街道を歩いてみよう

【この記事のポイント】
・休日のウォーキングで行徳街道を歩いてみたところ、普段は気付かないものが様々あってなかなか面白い



とある休日、この日は近場でウォーキングをと、行徳街道を歩いてみることに。

近いとはいえ... いや近いからこそ、なのかな。
そういえばじっくりと歩いたことはないことに気付いたんですよね。

まずは行徳橋。
河原に橋脚のようなものが並んでいるのは、ここが元は橋だったからです。

この橋がかけられたのは1956年、行徳可動堰の上に道路橋としてかけられたもの。
老朽化のために道路してはお役御免、改築した可動堰はそのまま使われているというが現状なんです。

その行徳可動堰、こちらは耐震補強してあるそう。

普段はこの堰は閉じていて、川の水は旧江戸川に流していますけど、水量が増えた時にはここを開けて江戸川放水路に水を流すという仕組み。
そういえば何年か前に堰を開けた際、わざわざ見に来たことがあったものの、普段と水位も変わらずということもあったっけかな。

今日ではハゼ釣りのメッカとなっている江戸川放水路ですけど、大正時代までここは陸地だった訳ですね。
お、釣り人の姿がちらほら、そろそろハゼ釣りのシーズンかな(撮ったのは6月中旬、この記事をアップする頃にはもっと増えていることでしょう)

さて、ここから先が行徳街道。
対向2車線、歩道が狭いという典型的な昔の街道を進んでいくことにします。

まず最初に遭遇するのが春日神社、この地にはは江戸川放水路を作るために遷座したとのこと。
子供たちが滑り台で遊んでいる姿が微笑ましい。

すぐ近くには稲荷神社、3年に一度の神輿の御渡の終着点がこの神社。

そういえば最近は全くお祭りを意識していなかったけど、このご時世でもやっているんだろうか。
調べてみなくてはです。

神明神社、江戸時代初期に伊勢内宮の土砂を遷して創建された神社だそうです。
このエリア一帯の総鎮守、近隣の神社と比べると敷地が広い理由が判明しました。

「行徳町道路元標」というのが設置されていて、これは1919年の道路法で町村の位置を示す指標。
これがこの近辺で発見されていることからも、このエリアが行徳の中心だったということがよくわかります。

行徳街道と寺町通りの交差点。
左に向かう寺町通りは成田道でもあり、この先には妙頂寺や徳願寺などの大きな寺がいくつかあるんです。

今日は行徳街道のウォーキング、浮気をせずに真っ直ぐ進もうというところで、続きはまた明日。




【おまけのワンポイント】
・徳願寺には円山応挙の幽霊画があり、時報となっています。時々一般公開していることがあるので、いずれ観に行きたいものです。

0 件のコメント:

コメントを投稿