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2022年5月25日水曜日

【旅行】長岡といえば河井継之助、記念館を訪れ学ぶ

【この記事のポイント】
・河井継之助記念館、ボランティアガイドさんのおかげで様々な知識を増やすことができた
・良寛も晩年は長岡に住んでいたとのことで、駅に銅像まで置いてあった



長岡といえば、司馬遼太郎の『峠』に書かれた河井継之助が有名ですよね。
河井継之助については改めてご紹介するまでもないとは思いますが、念の為に簡単におさらいしておきましょう。

・河井継之助は、幕末の長岡藩の家老
・この地で総勢2万人の新政府軍と激戦となり、1千数百(*)の兵を率いて3ヶ月間にわたり善戦
 (*)長岡藩以外の兵を合わせると総勢は8千
・長岡藩の善戦には、河井継之助が財政改革を行って入手した資金による近代兵器が貢献
・長岡城を巡る戦闘で負傷、会津に向かう途中の只見町で死亡、享年41歳

長岡に来た目的の一つは、この河井継之助ゆかりの地を訪ねるというものでした。

長岡城があった場所は、現在はJR長岡駅になっています。

長岡駅の位置には本丸があったとのこと、これがモニュメント。
駅の建設で城跡が完全になくなっているというのが長岡ならではの特徴ですけど、北越戦争でほぼ焼失したした城跡は公園になっており、跡地を利用し易かったんでしょう。

もう1ヶ所、アオーレ長岡という市の施設の敷地内にも碑があります。
こちらは長岡城の二の丸跡、堀も石垣も全く見当たらず、当時の面影は跡形も無くなっていました。

そんな長岡駅を後に、向かう先は河井継之助記念館。

アーケードが整備されているというのは、長岡もかなりの降雪があるということか。
人通りも少なく、シャッターが下りたお店も多いちょっと寂しい風景ですけど、風情はあります。

記念館までは徒歩10分ほど、ここは元々河井継之助の居宅があったところ。
空き地だったところにこの記念館がオープンしたのは2007年、「峠」が出版されたのが1968年で、それ以降にはファンも数多く訪れただろうに河井継之助にまつわる展示をしていた施設はなかったようです。

館内のボランティアガイドさんの説明によると、「長岡には反河井の方も多いんです」。
理由は「長岡を焦土にしてしまった張本人だから」とのこと、言われてみれば、現地の方にそういう見方があるのも当然ですね。

入館料は200円、展示物で目立つものはこのガトリング砲の復元模型と河井継之助の銅像くらいで、あとは説明パネルがほとんど。
今回は運良くボランティアガイドさんに案内して頂けて、いろいろとお話を伺えました。

・展示物が少ないのは、長岡が北越戦争と太平洋戦争の空襲で二度も焼けてしまったから。
・河井家は石高120石ながら、勘定方なので賄賂収入があり裕福な家だった。
・継之助は若い頃から気性が激しいことで知られており、陽明学に傾倒していたため江戸遊学も25歳と他の藩士より遅かった。
・32歳の時、備中松山藩の山田方谷の教えを受けようと西国遊学に。家から50両を出してもらい、長崎まで足を延ばしたところで金が無くなり更に50両を出してもらった。100両といえば1,000万円、これをポンと出してくれるほどの財力が河井家にはあった。
・継之助の大きな功績は軍政改革。下士を上士の配下から藩直属に変え、下士への禄が不要になったんだからと上士の石高を削減、下士には僅かずつながらも加増した。差分で余った石高を藩の収入として財政改革、近代兵器を購入できるまでになった。

などなど、1時間以上わたり熱心に解説して頂いたおかげで、河井継之助についてかなり知識が増えました。

ところで、長岡藩がなぜ戦争の舞台になったのか。
それは日本海側から会津を攻めるには、どうやっても長岡を経由することになるからです。

長岡藩は7.4万石の小藩、新政府軍にすればまさか抵抗するとは思わなかったでしょうし、戦っても一瞬で捻り潰すことができると考えること間違いない。
まさか3ヶ月もの戦いになるとは想定せずだったでしょう。

当時のこの近辺の勢力図を描いてみました。

青字が新政府方、赤字が旧幕府方で、新発田藩が新政府方なのはこの近辺唯一の外様大名であるため、周囲の藩から長年に亘り虐げられてきたから。
と、ボランティアガイドさんの説明で納得です。

江戸時代繋がりでもう一つ、この痩せたお坊さんは良寛さん。
良寛って誰だっけと問われて、即答できる方いらっしゃいます?

私も記憶を辿っても、小学生の頃に偉い人シリーズで伝記を読んだくらいしか印象はなく。
改めて調べてみたところ、良寛は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶なんだそうです。
清貧の思想を貫いたとのことで名が通っているようですけど、それだけで伝記にまでなるとは凄いですね。

生まれは出雲崎、晩年は長岡に住み、わかり易く仏法を説いたので様々な人々の信を得たようです。
・良寛さんの周囲には子供が群がっているイメージが強い。
・周囲にいるのは女の子が多く、良寛さんは子供に字を教えている。
・貧しい村では、女の子はいずれ売られていくので、その時に備えて読み書きを教えている。
なんていう話も、ボランティアガイドのTさんに教えて頂きました。


Tさんのおかげで長岡滞在も充実、本当にありがとうございました。




河井継之助記念館
0258-30-1525
新潟県長岡市長町1甲1675-1
営業時間 10:00 ~17:00(16:30まで入館可)
入館料 大人200円

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