モーションウィジット

2020年10月10日土曜日

【散歩】東京の発展を影で支えるのは、400年にわたる利根川治水対策

前の記事にも書きましたけど、関宿は利根川と江戸川の分水点。

利根川は水量が豊富、恵みをもたらす一方で、歴史的にはなんども洪水を起こしています。
なので江戸に幕府が開かれて以降、治水には力を入れている川。

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江戸川の堤防、これも他では見ないほどの高さと土量。
これだけの土を盛る作業、近代の重機を使っても何年かかるんだろうかというほどです。

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関宿城博物館近くにひっそりと展示されているのは、浚渫船と水路浚渫機、上流から流れてくる土砂を取り除くのに活躍したもの。

浚渫船は長距離航行の必要がないので、船底は直方体の双胴という珍しい形。
そして浚渫機、これh浅瀬にも入っていけるとのこと、浚渫船が近づけない浅瀬でも使えるんだそうです。

いずれも関宿専用仕様の特殊機材なんでしょう。

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関宿城博物館内の展示、これは水塚と呼ばれる昔の建物。
洪水が起きた際の避難所ですけど、当時の洪水は長期間水が引かずだったので、ここで生活できるよう食料も備蓄していたんだそうです。

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1594年の会の川締切り(東京湾に直接流れていた古利根川の洪水対策)、江戸川の開削、そして1654年には今の利根川流路を開通させるまでの変遷。

頼るのは人力のみという時代、これだけの大工事を成し遂げたのは半端なく偉大なことですよね。
おかげで今日の東京がある、そう言っても過言ではないでしょう。

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江戸川への分岐、当時の物流の大動脈。

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高瀬舟の模型も展示されていました。
高瀬舟は小舟と思い込んでいたのが、この模型で長さ20mi以上はありそうな大きさと知って少々驚き。

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関宿城博物館でも解説されていた関宿閘門、実際に見に行ってみました。

1910年の洪水を受け、江戸川に流れ込む水量を調整する為に作られたもの。
今日では役目を終えているものの、当時のままの姿で残っているんだそう。

凄いなと感動しながら見入ってましたけど、周囲には見物客は誰もおらず。
そして蚊にやられて足が痒くなってきたので退散。

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関宿より少し遡った利根川。

堤外地は半端なく広く、そして何台もの重機で工事をしているんだなと。
普段は意識もせず見えない所ですけど、こういった努力があってこその安全な生活、感謝しなければですね。




【今日のワンポイント】
・日本に流れる川の水量ランキングで、利根川は第4位。1位の信濃川はそうだろうと思っていましたけど、2位は信濃川近くの阿賀野川。新潟平野も洪水対策は大変なんでしょう。

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