モーションウィジット

2020年3月14日土曜日

【観光】歴史の欠片を繋ぎながら、岩槻の街を巡る

岩槻市街を歩いてと。

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あ、太田道灌は岩槻城を作った武将、江戸城も大元は彼の築城。

ところで太田道灌の最期ってご存知です?

主君である扇谷上杉定正に諮られ、風呂に入っているところを刺客に襲われ死亡。
人望を妬まれたとのことですけど、今日でも太田道灌は知っていても上杉定正は知らないのが普通、この差が原因なんだなと。

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日光御成街道の一里塚、ちょっと立派過ぎかな。
この冬に歩いた鳩ヶ谷宿の2つ先、岩槻城下久保宿がここにあったんだ。

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裏小路公園は、公園そのものは普通なんですけど、2箇所の入り口それぞれに面白い人形。
門によじ登る子供、後ろ姿が可愛らしいですね。

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「昔の武家屋敷」と書いた看板、その裏は駐車場、隣も普通の民家なんだけど…
暫く前まで、この駐車場には武家屋敷が建っていたんだろうか。

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なんていう裏小路を歩いて、到着したのは岩槻藩遷喬館、岩槻藩の藩校だった施設。

岩槻藩の藩主は江戸時代中期まではコロコロ変わっているものの、1756年以降は大岡家で安定。
大岡家というのは、あの大岡越前の親戚の家系です。

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遷喬館が開かれたのは1799年、藩士の儒学者児玉南柯によるもの。

児玉南柯は、祖父と父が流刑となって岩槻の児玉家に養子に入った人物。
祖父の豊島常慶は江島生島事件の主役、江戸城大奥御年寄だった絵島の弟なんだそうです。

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当時のトイレ、きちんとできているので、ここでやってもいいのか…
いや、「使用禁止」の文字がしっかり出ています。

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展示物はこんなパネル2枚のみですけど、当時の空気を感じながらまったり。
それもまた楽しいものです。

さて、次は近くに酒屋にというところで、続きはまた明日。


岩槻藩遷喬館
048-757-5110
さいたま市岩槻区本町4-8-9
開館時間 9:00~16:30

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