モーションウィジット

2019年3月14日木曜日

【観光】現代の「吉原」って、どんな街?

とある日曜日、午後から晴れてきたし、今日は都内を歩いてみるかな。
今まで一度も行ったことがない手近なところといえば…そうだ、奥浅草がいいか。
 
浅草寺の北側、お、吉原もこのあたりだったのか。
遊郭で有名だった吉原、実は今までどこにあったのか全く知らずでした。
 
 
元々は人形町あたりだったところ、明暦の大火後の1657年に現在の地に移転。
明治以降は衰退の一途を辿り、今日では通常の市街地に飲み込まれているという流れのようです。
 
東京メトロ日比谷線の三ノ輪駅が最寄り、今回は亀戸駅からのバスで三ノ輪に。
そのまま南下して、浅草寺から錦糸町駅まで歩こうというルートにしました。
 
DSC_1318.jpg
まずは三ノ輪駅近くの浄閑寺に。
 
ここは「投げ込み寺」と言われた寺、あ、聞いたことあるな。
亡くなった遊女をここに投げ込んだ、と記憶しており、随分と酷いことをするもんだと思っていたんです。
 
ところが正確には、安政の大地震で亡くなった530余人をここに葬ったということ。
遊女以外にも600人以上亡くなったそうで、この地震は大惨事だったんですね。
 
DSC_1319.jpg
三ノ輪橋跡、今日では川の一部すら見えなくなっています。
農業用水として使われていた川だそうで、当時はここにも田園風景が広がっていたんだな。
 
DSC_1322.jpg
むむ、この像は…あしたのジョーか?
彼は泪橋近辺の生まれ育ちだそうで、ちょっと離れてはいるものの、まぁ概ね近いから許容範囲なのかな。
 
それにしても、いきなり道路にポツンと。
気が付かない人も多いんじゃないだろうか。
 
DSC_1323.jpg
かつては日本堤という土手があった場所、でも当時がどんな形状だったのか、全く想像できないほど変化しています。
今日では、この地からもスカイツリーがよく見えますね。
 
DSC_1324.jpg
「桜なべ中江」、「土手の伊勢屋」(天丼屋)などが並んでいる一角。
 
桜鍋のお店は珍しいですけど、精がつく食べ物だったからこの地にというのが定説。
「土手の伊勢屋」は、かつてこの地に土手があったことの名残りなんだろうなと。
 
DSC_1325.jpg
吉原への入り口、こんなS字カーブになっているのは、中を見通せないようにするため。
 
なるほどねと歩いていると、いきなりおじさんが語りかけてくるのは…
あっ、これは呼び込みだ。
 
今日でも、ここ吉原にはその手のお店が残っているらしい。
普通の街中にいきなりで、かなり面食らうこと間違いなし。
 
この先にある吉原神社が目的地なんですけど、このまま進むのはちょっとなぁ。
一先ず迂回することに、いやぁびっくりした。
 
DSC_1330.jpg
かなり大回りして、新吉原花園池に。
ここは弁財天の本宮になっていて、壁面の絵は藝大生が描いたものらしいです。
 
DSC_1332.jpg
ここでは、関東大地震で遊女が多数亡くなっているんだとか。
安政の大地震といい関東大震災といい、どうしてそんなに多くの遊女が亡くなるのか…
 
そうか、普段の備えで、逃げ出さないよう柵で囲ってある。
火災が起きたら柵のせいで逃げられず、地震による火災で悲惨な被害が出るんですね。
 
 
歴史を振り返っても、改めて凄い場所なんだなというところで、続きはまた明日。
 
 
【今日のワンポイント】
・吉原は、周囲よりも一段高くなっていたとのこと。言われてみればわずかに坂になっているような気もするものの、すっかり街に飲み込まれて、明確には認識できずでした。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿