モーションウィジット

2019年8月11日日曜日

【観光】大震災に大空襲に、数々の惨劇を乗り越えて

江戸東京博物館、明治時代の展示に移ったので、ここからが「東京」。
 
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おぉ、これは地層? そう、東神田なんだそう。
 
高さ5m、元々は葦の野原だったところを埋め立てて寺院に。
明暦の大火で焼けて、その後は町家になったエリアです。
 
関東大震災でも焼けて、東京大空襲でまた焼けて。
何度も火災に遭っているのが、全て地層に残っているんですよね。
 
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この建物は新聞社。
人力車や自転車に乗って、記念撮影をする親子連れの姿が微笑ましいですね。
 
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第一国立銀行は擬洋風建築といって、外装は洋風ながら構造は伝統建築なんだとか。
 
成田の参道にある旅館大野屋、あれに外装をしたようなものなんだろうか。
中はどんな様子なのか、実物を見てみたいです。
 
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アラビアンナイトみたいなニコライ堂、今でも御茶ノ水駅近くにありますね。
 
関東大震災で大きな被害を受けながらも復興、今やビルに埋もれてますけど、かつては遠方からも見える駿河台のシンボルだったんだとか。
改めてこうやって見ると、美しいシルエットなんだなと。
 
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レンガ街だった頃の銀座、右上が現在の和光なんだとか。
 
今日のガチャガチャとした建物よりも、当時の方が街としてはるかに美しい。
照明を落としてガス灯を灯す様子も再現してくれて、静かでロマンチックな街だったというのがよく伝わります。
 
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おぉ、これが浅草の凌雲閣、想像以上に立派で背の高い建物だなと。
これも関東大震災で半壊、見物客10人ほどが巻き込まれて亡くなっているんですよね。
 
このあたりの展示は、東武ワールドスクウェアの分室みたいで楽しい。
 
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その関東大震災、10万5千人あまりが亡くなったと改めて知ると、とてもない災害だったんだなと。
当時の不明者探しの展示も痛ましい。
 
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同潤会アパート建築前後の様子、これも関東大震災がきっかけだったんですよね。
表参道ヒルズにも、かつてはこんな木造住宅が立ち並んでいたとは。
 
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窓ガラスにテープは、戦時中の風景。
東京大空襲でも、死者は10万人といいます。
 
明暦の大火、関東大震災、そして東京大空襲と、いずれも10万人の方が亡くなる大惨事。
そんな歴史を経て、今の東京があるんだなぁ。
 
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住宅繋がりで1950年代の団地、標準的な2DKの住宅です。
 
家電の数も増え、子供時代の記憶にも残っている風景。
江戸の賑わいや東京への変貌、そして大惨事を見学してきた最後に見ると、ほっとしますね。
 
明治以降の展示も、なかなかの面白さでしたよ。
 
 
【今日のワンポイント】
・関東大震災の話は祖母から聞いたことがあって、切れた電線に触れて倒れた方が、電気のせいなのか身体をゆっくり微動させていた、と言っていました。
 

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