モーションウィジット

2019年7月28日日曜日

【観光】落城に開城、戦国の悲運にまみれた祇園城に

祇園城という響き、京都にあるような印象ですよね。
今回行ったのは栃木県小山市にある祇園城、小山城の別名は城内に祇園社があったのがその由来とのこと。
 
珍しく電車で結城に行く機会だったので、乗り換えの小山駅で下車。
その祇園城を見学することにしました。
 
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城までは駅から10分ちょっと、思川沿いの河岸段丘にある城、今回は北辺から入城してみることに。
掘割がしっかり残っていて、橋を渡って曲輪に入ります。
 
隣接した北にある天翁院も城の一部だったとのこと。
南北に長い城だったんだな。
 
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本祇園曲輪、現存する最も小さい曲輪ながらも、ここはここで結構広い。
南にもう2つの曲輪が続く、連郭式の城という構造。
 
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隣の曲輪との通路、両側の苔が美しいですね。
 
祇園城の城主は小山氏、戦国時代末期の秀綱の代に北条氏に従わざるを得ず、この城を開城しています。
今更ですけど、小田原を本拠地とする北条氏、電車でも3時間かかるこの地まで勢力範囲だったというのは凄い。
 
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この銀杏の木は、落城の際に井戸に身を投げた姫君がいて、目印に植えた銀杏が大きくなったものなんだとか。
 
この「落城」は、室町時代(1380~1397年)の小山氏の乱の時のことなのかどうか。
この乱で小山氏は一旦滅亡、その後結城氏から世継を迎えて復興して、上に書いたように再び開城の憂き目にあっているということから、小山氏は相当に苦労を重ねたんだということがよくわかりますね。
 
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中曲輪から本曲輪に渡る橋、祇園橋という名がついています。
現在残っているのは北条時代の城なんでしょうけど、そういえば土橋は1つもないな。
 
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橋の上から、空堀を見下ろしたところ。
かつては水が流れていたのかもしれませんけど、想像以上に深くて広い堀、形もしっかり残っているのに感動です。
 
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本曲輪も広大で、その端から西側に流れる思川を眺めてと。
高さがあるので、こちらからは攻められず、という造りだったんでしょう。
 
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本曲輪の南側、ブツンと曲輪が途切れてますけど、連郭がここまでというのは少々不自然。
きっと南側にも曲輪があったんだろうなと思いながら、城址を後にして、その南側に向かうというところで、続きはまた明日。
 
 
祇園城址
小山市城山町1-1
0285-49-3520 (小山市 水と緑の推進課)
見学自由
 

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