モーションウィジット

2019年6月11日火曜日

【観光】川越街道の宿場町、下練馬に当時の面影を探して

東武練馬駅のすぐ南には、旧川越街道が通っているんです。
そして練馬は当時の宿場町、その面影を求めて、少し歩くことに。
 
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これが宿場の全体図、「下練馬宿」というのが正式名称。
 
そのなかも上宿、中宿、下宿と分かれていて、川越に近い方が「上」、江戸に近い方が「下」。
現代の電車の上下とは逆ですけど、天皇陛下が京都にいる時代だからなのか、全く関係ないのかはわからず。
 
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この微妙に曲がった道路が昔町の特徴ですね。
 
古い家屋は…残っていないな。
案内図にあった石仏や神社を巡ることにするか。
 
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北町観音の道路側には4体の石仏。
真新しい花も供えられていて、大切にされているのがよくわかります。
 
川越街道を行き交う人を見続けて、一体何年経つんだろう。
歴史を感じますねぇ。
 
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北町観音は坐像で、江戸時代初期の銘があるそうな。
仁王像も同時期からあるらしく、上宿のシンボル的な存在だったんでしょうね。
 
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中宿に移って、浅間神社にお詣り。
 
社殿左にある小山は富士塚で、この宿から分岐する大山道の先には富士山。
富士講で賑わう宿場だった当時の面影、ということになるんだろうな。
 
それにしても、ここから大山、そして富士山まで歩くなんて。
昔の人の体力と根性は半端じゃないですね。
 
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徳川綱吉御殿跡之碑、へぇ、あの犬公方の徳川綱吉か。
将軍になる前というから館林藩主だった時か、鷹狩り用の屋敷があったとのことです。
 
忠臣蔵の一件は、綱吉将軍時代だったって知ってました?
最近.、kindle unlimited で読んだ「吉良の言い分」で覚えたこと、ついついひけらかしたくなるものです。
 
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大山道分岐の道標にある、不動明王像。
江戸の人口が100万人だった時代、大山には毎年20万人がお詣りしていたんだとか。
 
そういえば、大山にはまだ行ったことないような。
ケーブルカーもあるので登山も楽そうだし、いずれお詣りしてみようかな。
 
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お、古民家もあるじゃないか。
お米屋さんだそうですけど、風情のある佇まい、いつまでも残してほしいものですね。
 
下練馬宿、静かで寂れつつある商店街。
観光地として復活するには…難しいか。
 
 
【今日のワンポイント】
・下練馬宿は、秩父巡礼の旅人でも賑わっていたそうです。今日では、秩父も大山も誰でも気軽に行ける日帰り圏、便利になったものですねぇ。
 

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