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2023年12月11日月曜日

【旅行】水攻めされた備中高松城に

【この記事のポイント】
・歴史好きなら一度は行きたい備中高松城、こんなところで水攻めをした技術力には感心



備中高松城と聞いて、ピンと来る方は歴史オタ.. いや、歴史通かもしれません。

豊臣秀吉がこの城を水攻めしている時、本能寺の変が勃発。

それをいち早く知った秀吉、城主の清水宗治の切腹で城に籠もる兵を助命して、その後がかの有名な中国大返し。
230kmを2万の兵が10日で徒歩移動したという大作戦ですね。

この速さ・規模感は想像を絶するものというのは、改めて言うまでもなく。
私が凄いと思うのは、毛利軍の追撃を許さなかたこと、またこれだけの移動後の疲労をものともせず山崎の戦いで勝利したこと。

これらを並立させるのは不可能に近いはず、相当のカラクリがあるのは間違いないでしょう。
今後の様々な仮説やその検証に期待したいところです。

水攻めについても言葉では簡単に言えるものの、実際にやるとなったらかなりの技術が必要なはず。
どこに堤を築いてどこから水を取り入れるか、水位が城に、更にいえば本丸にまで届かなければ効果はなし。

更にいえば、籠もる兵士の戦意を喪失させるためには、常に水に浸かっている不自由さや不快感を与えるほどの水位が必要があるんじゃないかなと。
今日ではごく普通の農地であるこの場所、そんなに水浸しにできるんだろうか。

そもそも重機がないなかの人手による工事というだけでも、どうやって進めるのかの想像もつかずです。

城の防御力を高めるために川を天然の堀として利用するのはよくあることで、備中高松城もこれに該当するのは間違いなし。
雨で川の水位が上がる梅雨時だからこそ、この作戦を実行することができたんでしょう。

水攻音頭なるものがあるらしい。

よくよく読んでみると清水宗治の武勇を讃えた歌詞なんですけど、水攻めという言葉は、逆さに吊るして頭を水に漬ける拷問を想像させるもの。
その漢字は「水責め」、読みが同じなので拷問音頭のようにも聞こえてしまうというのが違和感の正体でした。

1982年にこの歴史公園を造成する際、沼の復元をしたら自然に生えてきた蓮、これを宗治蓮と名付けたらしい。
蓮に名をつけるくらいなので、清水宗治はこの地で支持されている武将というのがよくわかりますね。

高松城水攻之図、こうやって絵にしれくれるとわかりやすい。

よくよく見てみると青い旗印は毛利勢、援軍が来ているのになぜ戦わなかったんだろう。
ネットで調べてみると、来島水軍等の毛利方の水軍が秀吉の調略で離反、海路での補給を絶たれれて物資不足だったそうです。


城があったと言われなければわからないような公園、こういうところを巡るのも歴史の面白さの一つ。
当時の様子、登場人物たちがどんなことを考えていたのかに思いを馳せるのも楽しいものですね。




備中高松城
岡山県岡山市北区高松558-2
086-287-5554
出入り自由(資料館は10:00〜15:00)

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