モーションウィジット

2019年2月3日日曜日

【観光】蔵前と鳥越の神社から、この地の歴史を探る

辛くて痺れる汁なし坦々麺を食べて、身体はほっかほか。
そのまま近所の鳥越神社に行ったんですけど、ランチの前に浅草橋駅から順次お参りしていった神社もついでにご紹介しておきます。
 
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銀杏岡八幡神社は、浅草橋から徒歩3分ほどのところにあります。
低層の小さなビルに囲まれて、こんなところに神社があるとは想像し難い場所なんです。
 
でも歴史は古く、源頼義・義家の奥州征伐に遡るとのこと。
隅田川沿いの丘だったこの地に銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰りに神社を創建したのが1062年、平安時代です。
 
奥に見えてる銀杏がそれかな?
いや、江戸時代に台風で折れて、最後は1806年の江戸大火で焼失しているそうです。
 
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境内は落ち着いた雰囲気で、いかにもパワースポットっぽいですね。
浅草橋に行く際には、ついでにお参りするのも悪くないなと。
 
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次は須賀神社、こちらは江戸通り沿い。
江戸時代にこの地に軒を連ねていた札差、旗本の俸禄をお金に変えたり高利貸しをしていた米商人のおかげで、この神社の祭りも景気がよかったようです。
 
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この神社が面白かったのは、お賽銭の入れ方。
窓ガラスが一部なくて、ここから入れるようになっています。
 
そっと手を突っ込んで小銭を入れましたけど、あの時にいきなり手を掴まれたりしたら、相当ビックリするだろうなぁ。
 
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蔵前一丁目交差点には、天文台跡と浅草蔵前の旧町名由来の案内板。
 
天文台跡の方を読むと、この地に高さ約9.3メートルの小さな高台があり、その上に天文台があったんだとか。
葛飾北斎の富獄百景、「鳥越の不二」にその天文台の渾天儀が描かれているそうです。
 
旧町名由来には、1620年に鳥越の丘を削ってその土砂で隅田河岸を整地して米蔵の土地を造成したこと、米は領地をもたない旗本・御家人に支給する給料米であったことが書かれていました。
この米を扱っていたのが、札差だった訳ですね。
 
 
おぉ、繋がった。
銀杏の枝を刺した丘、その丘を崩して造成した米蔵の土地と札差、残った高台には天文台。
 
時が紡ぐストーリーを発見するのが、街歩きの楽しさ。
完璧にオタクの世界ですけどね。
 
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鳥越神社の歴史は更に古く、652年に日本武尊を祀った白鳥神社が由緒とのこと。
そして鳥越の丘を崩した際に移転、現在の地にあるんだそうです。
 
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境内は狭いものの、ここの例大祭は都内最大級のお神輿が出ることで有名。
例大祭は6月9日に近い土日だそうで、いずれ来てみたいなと思ってます。
 
この後、御徒町駅まで歩こうというところで、続きはまた明日。
 
 
銀杏岡八幡神社
台東区浅草橋1-29-11
03-3851-1691
 
須賀神社
台東区浅草橋2-29-16
03-3851-7044
 
鳥越神社
東区鳥越2-4-1
03-3851-5033
 

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