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2023年1月28日土曜日

【旅行】徳川家康生誕の地、岡崎城はなかなか立派

【この記事のポイント】
・苦労人徳川家康が生まれた岡崎城、見どころ多く大河ドラマ放映の今年は人気の観光地になるだろうなと



岡崎城といえば、徳川家康が生まれた城として名が通っていますね。

南を流れる乙川と西の伊賀川に挟まれ、更に西には矢作川も流れるという舌状台地に建つ城。
徳川家康の祖父、松平清康の代にここに居城を移したんだそうです。

松平清康は25歳で家臣に討たれるという短命、その子供、つまり家康の父も同じような年齢で亡くなっているというのは、松平家が苦境の歴史のなかにあったということの現れ。

大手門を潜って中に入ると、ぱっと目に入ったのは「家康公と背くらべ」のパネル。

へぇ、159cmしかなかったのか。
いや待てよ、栄養状態が良くないので平均身長も低いはず。

調べてみたら平均は156cm、巨漢のイメージがある武田信玄は... うわっ153cmか。
細くて小柄かと思っていた織田信長は170cmと、ドラマで見るイメージと随分と異なるものなんだなと。

あ、三方ヶ原の戦いで負けた後に描かせたという絵の石像、脱糞事件で有名なあの負け戦ですね。
そう思うと、何だか近付きたくなくなるもの。

二の丸と本丸との間にはかなり深い空堀があったようで、今日でも当時の様子を見ることができます。
鎧を着たまま飛び降りることはまず不可能、後ろ向きに下る間に背中から射られるという算段か。

天守は1959年に再建されたもの、中は展示施設になっています。
私が訪れた時は改装のため休館中でしたけど、1/21(土)にはオープンしているはず。

見にくいですけどアラモの碑、西部劇の「アラモの砦」のアラモです。
一体何の関係があるんだろうと説明板を読んでみると、以下のようなことが書いてあります。
・この石碑は岡崎出身の地理学者志賀重昂氏が建立したもの
・アラモの戦いと長篠城の戦いがよく似ていると考えて、1914年に岡崎と長篠の石でアラモ砦とここに記念碑を建立した

アラモの戦いってどんなんだったっけ?
・テキサス独立戦争に際し,テキサス人守備隊がたてこもった僧院を3,000人のメキシコ軍が包囲
・援軍を求めて友軍の下に走ったポナムという青年がいたが、援軍は得られず
・十数日の攻防の末、守備隊187名が戦死して僧院は陥落

ポナムと鳥居強右衛門の逸話と似ているということのようですけど、援軍が来て防衛に成功した長篠とは結論は真逆だった。

この像は... 迫撃砲?
よく見ると、「三河花火発祥の地」と書いてあります。

江戸時代になってからは火薬や硝石の採取は三河のみに限定、これが平和利用されるようになって花火になっていったんだとのこと。
そんな歴史があったとは知らずでした。

さて、ほぼ壊れたカメラでの撮影も無事完了。
今日の観光はここまでにして、名古屋の妻の実家に向かうべく名鉄線に乗ろうというところで、この記事はお終い。




岡崎城
愛知県岡崎市康生町561−1
0564-22-2122
城内の出入りは自由

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