モーションウィジット

2023年1月27日金曜日

【旅行】徳川四天王って? どんな功績があったの?

【この記事のポイント】
・岡崎に到着、徳川四天王像で彼らの功績を改めて知る



豊川稲荷の次、目ざすは岡崎城。
電車のルートを確認すると、名鉄で東岡崎にというのがいいんだなと。

国府(読みは「こう」)駅で乗り換えか。
一つ手前の八幡という駅で大勢乗ってきて、荷物で席を専有するのは申し訳ないなと膝の上に乗せた時…ガツン!

あ゛っ、カメラを落としてしまった!
と...

コロコロコロ… うぉっ、レンズが外れて転がり始めたぞ!

「はい、どうぞ。」
転がった先に座っていた高校生くらいの女の子が丁寧に渡してくれましたけど、一体何が起きたんだか理解できず…

一緒に旅行している長年の友の首がもげた、それぐらいにびっくらこいた一幕でした。

確認してみると、マウントのレンズ側のプラスチック部品が見事に折れています。
長年使っているので劣化していたのか、それはそれで仕方ないんですけどね。

今回は替えのレンズは持ってきておらず、この後の写真どうするんだ。
スマホで撮りゃいいんですけど、使い慣れたデジカメ一眼レフと同じようにはいかないんだよな…

東岡崎に到着、とりあえずは乙川を目指します。

ここでデジカメ一眼レフを取り出し、外れたレンズを手で押さえながら1枚。
あ、撮れた。

しっかりと定位置に固定すれば、シャッターを切ることができる。
よし、とりあえず今日はこれで行くしかないな。

ん? 中学生の集団飛び込み… いや。

何やら歌い出した様子をみると、何かの記念で写真を撮っているらしい。
青春の一コマって感じで微笑ましいですね。

岡崎城に近づいていくと、石像が登場。

ワンピースのチョッパーが被る帽子のような兜、槍は蜻蛉切。
これは見紛うことなく本多平八郎忠勝、徳川家最強の武勇を誇る武将。

次に出てくるのは...え、太鼓?

家康が大敗した三方ヶ原の戦い、開け放たれた城門から中に攻め入ろうとした武田軍を退散させたのは酒井忠次の太鼓だった。
そんな逸話があるそうで、武田軍は奇計が巡らされていると勘違いしたんだとか。

高札を持って立たされている武将は誰だ。
え? 榊原康政?

徳川四天王の一人として名前はよく知っているものの、そういえば何をやったんだか記憶していないなと。
説明板を読んでみると、小牧・長久手の戦いに際し、秀吉を非難する檄文を書いたのが榊原康政だったんだとか。

激昂した秀吉、榊原康政の首を獲った者には褒美を与えるとお触れ。
この戦いは退却すると見せかけた徳川軍を追った豊臣軍が包囲殲滅されて決着しているので、この檄文が効いたという見方もあるんでしょうかね。

「十万石の檄文」と書いてあったので、榊原康政はこれで十万石を得たということなんだなと。

ってことは、残るは井伊直政しかいないですよね。

赤備えを率いた武功だけでなく、外交でも手腕を発揮した秀逸な武将ながら、関ケ原の戦いで受けた傷が原因で亡くなったんだよな。
へぇ、42歳とまだ若かったんだ。

なんて考えながら... あれっ、井伊直政が跨る馬は首も足もないぞ。

改めて本多忠勝像の写真をみるとこちらの馬も同様でしたけど、本多忠勝の像では気にならなかったのはなぜか。
像全体のバランスで、視線が後ろを向く本多忠勝、井伊直政は前を向いているからなんでしょうか。

なんていう道中を楽しみながら岡崎城に到着。
内部の様子については、また明日の記事でご紹介します。




【おまけのワンポイント】
・今年の大河ドラマは『どうする家康』、今回の岡崎城観光もこれに刺激を受けたものでしたけど、鎌倉の次は岡崎が人気観光地に? なるのかなぁ。

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