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2020年4月20日月曜日

【観光】戦闘用の仕様バリバリ、松山城は見応えたっぷり

今回の旅、城を4つ巡りましたけど、クライマックスは松山城。

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加藤嘉明が築いた名城、といっても加藤嘉明の知名度は低いでしょうねぇ。

熊本城で有名な加藤清正とは、血の繋がりはなし。
同じく豊臣秀吉の家臣であり、柴田勝家との賤ヶ岳の戦いで功名を上げて、同じく「賤ヶ岳の七本槍」と言われながらも、その後の出世には差がつきます。

担当したのが四国攻め、水軍を率いることもあったので、戦場に恵まれなかったんでしょうね。

徳川家康から松山を拝領したのは関ヶ原後の1601年、加藤嘉明の20万石に対し、清正は熊本52万石の大大名に。
その後、加藤嘉明も1627年に会津藩43万石に取り立てられたものの、両者とも子の代には改易になったというのは、やはり豊臣温故の家系だったからか。

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さて、松山城に話を戻すと、この城は戦闘用に造られているということがよくわかります。
攻め上がった際に、この筒井門で一旦止まることを想定して…

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石垣を一つ挟んだところに小さな隠門があり、ここから出れば横からの奇襲が可能な造り。
まぁこっちを破られれば元も子もない訳で、実際に活用するのは勇気がいる選択なんでしょうけどね。

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山頂の本丸はフラットで、高さ132mからの眺めはよし。
この方面が道後温泉かな、今日は行く時間を確保できなかったけど、今治城も松山城もと欲張ったのでまぁ仕方ない。

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さて、松山城の天守を観るか。
入場料は520円、江戸時代から残る12天守にしてはお得と言えそう。

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松山城は連立式天守、石垣も高く、重層で兵士を立体的に配置できます。
3方向からの攻撃が可能な造り、防御力も高そうです。

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右に曲がると一ノ門、この門が破られても、狭い階段を左折したところにニノ門。
一ノ門とニノ門の間に入ると更に防御側の射撃は増す訳で、ここを突破するのは相当に厳しそう。

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左のニノ門から三ノ門には、180°の回転が必要、勢いを削ぐための工夫です。

ここまで攻め上がられるのは相当に不利、落城は必至という状況。
それでもまだ防御するための策を巡らせてあるというのは、戦う強い意志の現れですね。


明日の記事では、いよいよ天守の中に入ることにします。


【今日のワンポイント】
・加藤嘉明はお隣の今治城の藤堂高虎とは犬猿の仲だったようですけど、会津藩に移封後は打ち解けたとのこと。いずこにも近隣トラブルはあるものなんですね。


【緊急事態宣言で不要不急の外出を控えるようにという要請が出ていますが、この記事は宣言前の旅について書いたものです】

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