モーションウィジット

2024年10月21日月曜日

【登山】まさかこんなことに… 初心者の私が1,200mの下山で実感した恐怖と成長

【この記事のポイント】
・下山道は高低差が1,200mもあり、予想に反して恐怖と困難の道のり、下り切ったところで感じたのは安堵感、そしてほんの少しの成長実感



昨日までの記事に書いた通り、大菩薩嶺までは超順調な登山。
足場のいい山道を2時間ほど登っただけ、このまま素直に帰れば体力低下のリハビリにちょうどよかったんですよね。

まだ時間が早いので、そうだ、15年前の下山道を辿ってみようか。
なんて軽く考えたのが大きな間違いだったと気付くのは、下り始めて何分くらい経った時だったか。



この地図では、登りを赤矢印、下りを青矢印で表記。
下りの青矢印の方が若干距離があるのは、ご覧の通りでおわかり頂けると思います。

ところが問題は距離じゃなく高低差。
登りは500m程度だったのに対して、下りは1,200mと倍以上あったんです。



しかもそれだけじゃない。
狭くて急坂続きの山道が延々と続くという地獄、怖がり初心者の私には無謀な挑戦だったなと。

山に慣れて体力のある人にはごく普通の下山道、私がお尻をついて怖々と下っている坂をヒョイヒョイと歩いていくんですよね。
地図上の表記で2.5時間と書いてあったところを、私は5時間もかけて下りたんです。

途中、唯一ホッと一息つけたのは丸川峠。
ここは平坦で山小屋やベンチもあったんですけど、到着したのが14:00。

丸川峠の標高は… 1,700m弱か。
え〜、ってことは2時間もかけて下ったのはたったの400m… この後まだ800mも下る必要があるの?

迂回できる道もなし、日没時間は17:10。
こりゃ先を急ぐしかない、そう覚悟を決めて再びスタート。

この先も写真が全くないのは、欠片ほども余裕がないから。

道幅がなく路面も傾いたトラバース道、お尻をつかないと降りることができない段差の連続。
ビビって止まっていたら、山の中で夕暮れを迎えることになってしまう。

そんな緊張感の連続のなかで、カメラを取り出す余裕なんてないですよね。

「ゴールが近くなると、川の流れる音が聞こえますから。」
この道を何度か歩いたことがある師匠の言、ザーッという音が聞こえた時は心から嬉しかった。

いやいや、ここで油断するとコケたり滑落したりする。
改めて気持ちを引き締め直して、川原についた時にはもうヘトヘト。

最後の難関は石の道、弱った足を取られるのに丁度いい大きさなんですよね。
まだ明るいうちに到着できたのが何よりで、迂回しながら慎重に、慎重に。

いや〜、難関は全てクリア!
この先は舗装路という所まで来て、ようやく安全を確保できた。

考える余裕が少し生まれて、15年前に歩いたのは本当にこの道だったんだろうか。
当時も高所恐怖症だったはずの私、身の毛もよだつような道はまず忘れないはずなんだけど…

あの時は息子と父親と一緒で、そういえば私は置いていかれてずっと最後尾を歩いていたんですよね。
前に追いつこうと必死だった、そして記憶に残したくない恐怖は都合よく自動消去された。
そんな構図ですっかり忘れてしまっていたのかな。

「武田勝頼の菩提寺、この石段昇って見ていきます?」と師匠。
私が「そんな元気はもうない」と返すのを見越しての問いでしたけど、そう言っている師匠だってかつて見たことがないほど疲れている。

一瞬、「よし、行こう」と言いかけたものの、下りでコケて怪我したりしたら本当に馬鹿みたいなので止めておきました。

少しでも疲れを癒そうと大菩薩の湯に向かうところで、続きはまた明日。




【おまけのワンポイント】
・武田勝頼といえば、長篠の戦いで無謀な突撃を繰り返して数多くの将兵を死なせた、挙句の果てに国力が弱まって武田家を滅亡させた愚将、なんていうイメージが定着していますよね。でも実際にはどうであったのか。
・強大化した織田家には誰が武田家を継いでいたとしても敵わず、最後まで誇りを捨てずに戦って家名を守った人物なのではないかと私は思っています。

0 件のコメント:

コメントを投稿