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2026年5月17日日曜日

【観光】石垣なき名城の美学!土だけで敵を絶望させた佐倉城址と、幕末の余白を歩く旅

【この記事のポイント】

  • 石垣を一切使わず「土」のみで構築された佐倉城。関東ローム層という地力の必然性を活かした防御思想に触れる。
  • 15:00の閉館を前に「歴博を諦める」という選択。あえて余白を作ることで出会えた、幕末の歴史の最前線。

麻賀多神社から歴博までは約1.2km、歩いて15分ほどの距離。
歴博から再び京成佐倉駅まで戻れば10,000歩ウォーキングも完了するので、さて、張り切って歩きましょう。

土の城の必然性:石垣を排した防御の構造

まずは「佐倉城大手門跡」に到着。

ここはかつての城郭へのメインゲート。
佐倉城は石垣を一切使わず、関東ローム層の粘土質を活かした巨大な土塁と空堀で固められた、全国でも珍しい「土の城」の代表格なんだそうです。

その規模は広大で、この大手門から本丸まではまだかなりの距離があるんですよね。

佐倉城は、なぜ建物が何も残っていないのか。

明治になって、この広大な敷地は大日本帝国陸軍の歩兵第57連隊の駐屯地として利用されることに。
軍隊としての合理的な土地活用のために、天守閣や諸門は取り壊され、練兵場や兵舎へと姿を変えてしまったんですよね。

さて、城郭があったところに到着。
大手門からこのあたりまでは、有力家臣の屋敷が集まっていたという造りだったとのことです。

これは城の防衛能力を高めるための合理的な配置で、敵が侵入した際に家臣団の屋敷そのものが障壁となり、時間を稼ぐためのクッションとして機能させるという意図。
城下町としての機能美が、そのまま戦術的な意味を持っていたというのが興味深いなと。

堀のユーモアと本気の絶望:答え合わせの散策

佐倉城って空堀の印象が残っているんですけど、こんな程度のもんだったっけ?
それに「また、水があるものを水堀と呼びます。」って… わざわざ説明板に書くか?

『水があるから水堀』、思考を完全に停止させたかのような同語反復。
あまりの潔さに、むしろ一種の哲学的な深みすら感じてしまいますね。
まぁ、こんなことにいちいちツッコミを入れていたらきりないか。

実際のところ、この堀は序の口、本当に敵を阻むための深い空堀は本丸に近いエリアに隠されていました。
高さ10mを超えるような切り立った土壁がそそり立っており、一度落ちたら這い上がるのは不可能だという絶望感があったのは容易に想像できます。

歴博に到着… お?
もう15:00近くじゃないですか。
午前中にいろいろ用事があって、家を出たのが遅くなり過ぎたというわけですね。

歴博をじっくり観るには3時間は必要。
せっかくここまで来たけど、今日は諦めて佐倉城を巡ることにしようかな。

時にはこういった柔軟性が必要… なんて、偉そうに語ることは止めておきます。

歴史の最前線:歴博を諦めて見えた「政治の姿」

なんて覚悟を決めると、これまで気付かなかったものに目がいくものです。
こちらはタウンゼント・ハリスと堀田正睦の銅像。

時の佐倉藩主・堀田正睦は幕末の老中として開国を断行しようとし、ハリスとの間で日米修好通商条約の交渉に奔走。
歴史の教科書では数行で片付けられる出来事も、ここ佐倉が当時の日本の「政治の最前線」であったことを、この二人の立ち姿が物語っています。

本丸跡、こうやってみると無茶苦茶広いんですよね。

江戸時代の佐倉城は、江戸防御の要。
歴代藩主の多くが幕府の要職に就く「出世城」としても知られていたんだとか。

それだけの重要拠点ゆえに、本丸には壮大な御殿が建ち並び、徳川家から厚い信頼を寄せられた歴代の譜代大名たちがこの要衝を厳重に守り固めていたわけです。

佐倉藩主といえばやはり堀田氏。
一度は改易されたものの、再び佐倉の地に戻り、明治までこの地を治め続けた家です。

城址の起伏を歩いていると、当時の人たちが『ここをどう守るか』を必死に考え抜いた跡が伝わってきます。

土を盛る、あるいは削る。
そんなシンプルな作業の積み重ねに、現代の私たちが納得させられてしまう。
知的な『答え合わせ』をしながら歩くのが、この城址の一番の醍醐味なのかも。

本丸から出丸に向かう階段。
こうして見下ろすと、本丸の高さがよくわかります。

非常に実戦的で、かつてここには重厚な門が構えられ、敵を死角から狙い撃つための複雑な構造が仕組まれていたんでしょう。
建物こそないものの、階段一段一段に当時の緊張感が宿っているのを感じます。

出丸の周囲には水堀。
こうやって固めた本丸を攻めるのは、犠牲が大きくなりすぎるはずですね。

陸軍がここを駐屯地に選んだのも、この天然の要害と、広大な土地が軍事目的に叶っていたからなんでしょう。

天守や建物は一切残っていないものの、城としての機能を感じることができる佐倉城。
石垣に頼らず、土だけでこれほどの威容を誇る城郭を維持するのは、さぞかし大変な労力だったことでしょう。

柔らかくも強固な「土の城」の美学、これが佐倉という街の奥深さを象徴しているのかもしれませんね。
佐倉城、やはりなかなかの見ものでした。




【おまけのワンポイント】
佐倉城址の敷地内にある国立歴史民俗博物館(歴博)は、かつての兵舎跡地に建てられたもの。城郭、陸軍駐屯地、そして博物館へと役割を変えてきたこの土地自体が、日本の近現代史の縮図となっているというわけですね。