・徳川家康も通ったかもしれない、妙典の古い道「権現道」を歩く歴史散歩。道沿いには由緒ある寺社や、悲しい物語が残る「おかね塚」も。
東京メトロ東西線の妙典駅近く、ここに権現道と言われる細い道路があります。
長さは1km弱。
権現というのは東照大権現、つまり徳川家康のこと。
徳川家康が船橋に行く際に通った道と言われているのがこの権現道、10年ほど前にもブログ記事に書いたことがありますけど、久々に歩いてみようかなと。
今回は北側からのアプローチ、まずは行徳街道を歩きます。
寺町通りを左折、50m程度のところにあるのが権現道の入口。
幅は3m程度、両脇はごく普通の住宅地。
なのでそうと知らなければ気がつくこともない、そんな狭い道路なんですよね。
この道沿いにはお寺がいくつもあるので、いくつかピックアップして参拝していくことにしましょう。
法泉寺は、徳川家康が境内で小休止をしたことがあると言われているお寺です。
ということは、かつては大きな境内だったはず、今日ではその面影もなし。
妙覚寺にはキリシタン燈籠、これは房総で唯一残っているものなんだとか。
特徴は竿、つまり燈籠の台座が真四角なことで、上部の膨らみが十字架っぽく見えることらしい。
そして下部には神父が彫刻されたいますけど、この部分は本来、地中に隠しておくものだんだそうです。
浄閑寺、門前には南無阿弥陀仏と六地蔵、そして六面塔があるのが特徴。
かつての往来はないこの道、ひっそりと近所の住民を見守ってくれている、ということなんでしょうね。
あれ、もう終わっちゃった。
徳願寺の横で終わるこの道、かつてはもっと先まで続いていたんですかね。
そもそも、江戸城からここまではどうやって来ていたのか。
この部分だけがなぜ残っているのかなど、謎の多い道だと思いながらも、さて、今日は南行徳駅までウォーキングしようかな。
途中にあったおかね塚、これ、何だろう。
「おかね」というのは吉原の遊女。
塩で栄えていたこの地の船頭と夫婦約束をしており、年季が明けておかねはこの地にやってきた。
おかねは上総から荷を運んでくる船頭を待ったが、いつになっても現れず、悲しみのなかでこの地で亡くなった。
これを聞いた吉原の遊女たちが供養碑を建て、村民たちも花や線香を添えて供養した。
というのがおかね塚の由来なんだそうです。
なんてことを調べながらの徒然なるウォーキング、なかなか楽しいものです。
【おまけのワンポイント】
・おかねは化けて出たなんて話もあるらしく、なので丁寧に供養されているのかもしれません。
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