モーションウィジット

2024年12月3日火曜日

【旅行】時の流れに想いを馳せて:洲本城の絶景と石垣が語る物語

【この記事のポイント】
・洲本城は標高132mの山の上、大阪湾の絶景、築城当時の石垣や日本最古の模造天守をゆっくりと観ることができた。


ランチの後、次に目指すのは淡路国一の宮の伊弉諾神宮。

…だったんですけど、周囲の渋滞が酷い。

このまま駐車場待ちをしていると、何時間かかるかわからず。
仕方ない、諦めて洲本城に向かうことにしましょう。

城のある洲本は淡路の行政上の中心地。
島の人口12万人の1/3、4万人ほどが住んでおり、山がちな淡路島のなかでは比較的広い平野になっています。

洲本城は標高132mの山の上、三熊山ドライブウェイという道路を使えば、城の近くまで車で行くことがができます。

短い階段を登りきると視界が開け、目の前には海と青空の絶景。
いやぁ気分がいいぞ。

洲本の街全体を見下ろすことができ、城を築くには絶好の地。

最初に城が築かれたのは1526年、阿波三好氏によるものだったようです。
淡路島は瀬戸内海掌握の重要拠点だったはずなので、防衛拠点がなかった理由はなし。
かつては洲本以外の場所に築かれていた、ということなんでしょうね。

石垣がよく残っていますけど、城の大改修を行ったのは豊臣秀吉家臣の脇坂安治。

柴田勝家を破った賤ヶ岳の戦いでは、賤ヶ岳の七本槍の一人に数えられる活躍。
小牧・長久手の戦いの際には、伊賀上野城を攻略するなどの手柄を上げた武将です。

後の関ヶ原の戦いでは徳川方に寝返り、脇坂家は明治を迎えるまで大名家として残ることになるんですよね。

洲本城の天守、遠くから見てもちょっとアンバランスな感がありましたけど、近くから見るとなおさらですね。

ただこの天守も今となっては貴重だそうで、1928年に昭和天皇即位を記念して築かれたもの。
要は最古の模造天守なんだそうです。

天守の石垣、下はポッカリと空いており、さながら絵本に出てくる竜宮城のような風貌だなと。
脇坂安治の時代には大天守と小天守が連なる連結式だったとのことですけど、実態は不明というのはちょっと残念。

城は防御施設、敵を寄せ付けないためのものですね。
なので周囲は急坂で、高所恐怖症の私はこれ以上縁に寄ることはできませんでした。

偶然にも、この日は洲本城まつりの日。
そろそろ帰ろうかと石段を降りようとしたら、急に始まったのが脇坂安治の城主就任の口上。

これを間近で見ることができたのも、洲本城の記憶として残り続けるんだろうなと。
山にそびえる石垣、日本最古の模造天守もなかなかの見ものでした。




洲本城跡
兵庫県洲本市小路谷1272
0799-24-7613
出入り自由

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