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2025年7月19日土曜日

【旅行】橿原神宮から空母「瑞鶴」へ。古代と近代が交差する地を歩く

この記事のポイント】
・橿原神宮の北参道を歩き、古代のイトクの森古墳を経て、海軍航空母艦「瑞鶴」を慰霊する瑞鶴之碑へ。日本の古代史から近代史まで、多層な歴史の痕跡を辿り、平和への思いを新たにするウォーキングでした。



橿原神宮の参拝を終え、日本の始まりの地で清々しい気持ちに。
さて、次の目的地へ向かいましょう。


北参道の木陰を歩く



橿原神宮の境内から、駅から来た道とは反対側、北参道を進みます。


日差しが強く、暑さ対策は必須。
できるだけ日陰を選んで、体力を消耗しないように気をつけながら進みます。

北参道の途中には、畝傍山への登山口がありました。

標高198.6メートルとそれほど高い山ではない畝傍山。
山頂までの登山道も整備されており、気軽に登れる山のようです。

山頂からは、藤原京跡や大和三山(畝傍山、香具山、耳成山)などを一望できるとのことですけど…

この日は暑いし藤原京にも行きたいので、登山はやめておくことに。
こちらもまた、いずれ時間のあるときの楽しみに取っておきます。


歴史の道を辿る



再び北参道を進むと、瑞鶴之碑へはこちらという案内表示。


お、ここだ。
ここを曲がると瑞鶴之碑に行けるんだなと。

分岐道は木が多くなり、さらに日陰が増えて、こちらの方が歩きやすい。

瑞鶴之碑へと続く道の途中、小さな古墳が見えてきます。
イトクの森古墳です。


イトクの森古墳は、飛鳥時代(7世紀頃)に築造されたと考えられている小規模な円墳。
周囲には濠状の地形が残されており、かつては墳丘の周りを巡っていたようです。

橿原市周辺には古墳も点在、歴史的な深さを感じさせます。
こうした小さな歴史の痕跡を見つけるのも、ウォーキングの楽しみの一つですね。


空母「瑞鶴」に捧ぐ碑



イトクの森古墳を過ぎてさらに歩くと、目的の場所が見えてきました。

瑞鶴之碑(ずいかくのひ)に到着、隣には「殉国之碑」も建てられています。

瑞鶴とは、大日本帝国海軍が建造した翔鶴型航空母艦の2番艦のこと。
太平洋戦争開戦時の主力空母として、真珠湾攻撃、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦など、数々の主要な作戦に参加し、活躍したんです。

小学生か中学生の頃、タミヤの1/700ウォーターラインシリーズを何隻か作ったんですけど、そのなかに瑞鶴もあったような…
当時は夢中になっていたはずですけど、もはや記憶の彼方だな。

碑の立つ場所からは、畝傍山がよく見えます。

この碑と橿原神宮(あるいは神武天皇陵)との直接的な関係は、実はあまり明確ではないそう。
一説には、空母「瑞鶴」の艦内神社として、橿原神宮から分祀を受けていたというのもあるんだとか。

艦内神社とは、軍艦の中に設けられた神棚や小さな祠のこと。
航海の安全や武運長久を祈願するために祀られたものですね。

もしこの説が正しければ、瑞鶴と橿原の地には、密接な繋がりがあったんでしょう。


瑞鶴は、1944年10月、レイテ沖海戦で沈没。
日本の主力空母失われた、事実上の最期の海戦です。

瑞鶴之碑は、この悲劇的な海戦で瑞鶴と共に沈み、命を落とされた約800名の将兵を慰霊するために建てられたものです。


感謝と平和への誓い



近代日本の歴史を辿る上で、避けて通れない戦争の歴史。
今日の日本は、過去に国のために命をかけて尽くされた多くの方々の犠牲の上に成り立っています。

瑞鶴之碑を前にして、改めてその重みを感じて。
この平和な日本を決して当たり前のものと思わず、未来へと受け継いでいかなければならない。

そう改めて肝に銘じて、碑の前で合掌。


最後に



橿原神宮から瑞鶴之碑へと続くウォーキング。
歴史的な古墳や、神宮と海軍艦船との意外な繋がりに触れつつ、日本の近代史について深く考える時間となりました。

歴史の舞台を歩くというのは、単に史跡を見るだけでなく、そこに刻まれた人々の営みや思いを感じ取れるもの。
暑さの中ではあったものの、多くの学びと気づきがあったウォーキングでした。

橿原のウォーキング、明日も続きます。




航空母艦瑞鶴之碑
奈良県橿原市畝傍町46
出入り自由

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