・神武天皇陵の後に向かったのは、日本の都の始まりとされる広大な藤原京跡。しかしそこは、歴史的な痕跡が消えかかった田んぼが広がる場所でした。道中では本薬師寺跡を訪れ、ユニークな自衛隊コラボの自動販売機でエナジーチャージ、古代都市探訪を締めくくりました。
神武天皇陵、そして綏靖天皇陵を巡った後、次に向かうのは藤原京跡です。
日本の都として初めて、本格的な条坊制が採用されたとされる古代都市。
せっかくなので観てみたいと思ったものの、綏靖天皇陵から藤原京跡まではおよそ2kmほど。
暑さの中を歩くので、正直かなり応えます。
広大な野原と、消えかかった痕跡
Googleマップを頼りに歩き続けると、どうやらこのあたりが藤原京跡らしい。
広々とした空間に立つ立て札、近づいてよく見てみると…
あ、これだ。
ほぼ消えかかった字、「特別史跡 藤原宮跡」と書いてありますね。
確かにここが、古代の都だったようです。
藤原宮跡のあたりには、かつて天皇が政務を行った大極殿や朝堂院、そして宮城を取り囲む大垣などがあったはずなんだけど…
かつてここに、西面大垣、つまり宮城の西側の大きな塀があったらしい。
とはいえ、特に再現されているものはなし。
辺り一面に広がっているのは、ただ単に田んぼが続いているばかりの風景のみ。
休憩できるような建物や施設は皆無ですねぇ。
古代都市の面影を求めに来たんだけど…
観光地っぽい整備はされておらず、完全に「史跡」そのままの状態でした。
大極殿跡の基壇と、藤原京の意義
広大な野原の中、わずかに建造物の名残を示すものがこれ。
大極殿跡の基壇、建物の基礎部分にあたる石組みのようです。
「跡」なので、史跡らしいと言えば史跡らしいのですが、もう少し分かりやすく、観光客にも古代の都を感じられるような整備をしてくれてもいいのにと。
ところで「藤原」といえば、平安時代の摂関政治で権勢を振るった藤原氏が頭に浮かびますよね。
この藤原京の「藤原」は、あの平安貴族の藤原氏の故郷なんだとか。
地名が先で、氏族名が後なのです。
藤原氏の祖とされる中臣鎌足が天智天皇から「藤原」の姓を賜るのは、この藤原京が造られるよりも前の時代、大化の改新(645年)の頃のこと。
藤原京は694年に持統天皇によって遷都され、710年に平城京に遷都されるまでのわずか16年間だけ日本の都だったそう。
短い期間にも関わらず、初めて中国の都城制にならって整備された画期的な都市。
東西南北に走る碁盤の目のような街路、広大な宮城、そして天皇の権威を示す大極殿。
日本の律令国家体制を確立する上で、非常に重要な役割を果たした都と言えるでしょう。
思わぬ発見、本薬師寺跡と自販機
藤原京跡を後にして、橿原神宮駅へと向かう途中、立ち寄った場所があります。
本薬師寺跡。
薬師寺といえば、現在の奈良市にある薬師寺が有名ですけど、こちらはその前身にあたる寺院です。
天武天皇が、皇后(後の持統天皇)の病気平癒を願って建立を発願し、持統天皇や文武天皇の時代に完成した大寺院。
平城京遷都に伴い、薬師寺は現在の場所に移されました。
そのため、この地には金堂や講堂、東西両塔などの伽藍跡が残されており、礎石などからかつての大寺院の規模を感じることができます。
さらに駅へ向かう道を歩いていると、興味深い自動販売機を発見。
チェリオの自動販売機。
ラインナップの中に「ジャングルマン」という見慣れない商品があります。
よく見ると自衛隊とのコラボ商品で、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊の3種類のパッケージがあるんだとか。
値段は100円とリーズナブル、しかもどの自衛隊のパッケージが出てくるか分からないというのも面白い。
これは「ガチャ」や「ランダム要素」にも通じる、現代的な購買意欲を刺激する仕掛け。
よし、買ってみることにするか。
私が引いたのは、陸上自衛隊のパッケージですね。
味は、炭酸系のエナジードリンクのような感じ。
パッケージが違うだけで味は変わらないようですが、こういった遊び心は楽しいものです。
暑さで疲れた身体に、炭酸と甘みが染み渡り。
これを飲むことで根性を取り戻して、陸上自衛隊並にしっかり歩こう。
思わぬ自販機での出会いが、橿原神宮駅までのエネルギーになってくれました。
最後に
橿原神宮から始まった今日の歴史探訪ウォーキング、広大な藤原京跡、そして本薬師寺跡へと続きました。
古代日本の都の姿を想像しながら、広大な住宅街や野原を歩く。
暑さとの戦いでもありましたが、歴史の重みを肌で感じる貴重な体験ではあったなと。
そして、道中で見つけたユニークな自動販売機。
古代史の探訪という旅の中で、現代的な遊び心に出会うのも面白いものですね。
さて、次なる目的地は大阪。
近鉄南大阪線で大阪阿部野橋駅を目指してというところで、続きはまた明日。
【おまけのワンポイント】
・藤原京から平城京への遷都について、理由は諸説あるようですけど、橿原市の公式サイトでは以下のように記されていました。
衛生的な問題
地理的な問題
大宝律令(たいほうりつりょう)のもとで新しい政治を行うための総仕上げの事業としての必要性
粟田真人(あわたのまひと)が持ち帰った最新の中国都城の情報と藤原京の実態があまりにもかけ離れていた現実
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