・名古屋の妻の実家近く、千種区の水道関連施設を巡るウォーキングへ。鍋屋上野浄水場周辺の水の丘や水の歴史プロムナードを散策。水の歴史資料館では、名古屋の近代水道が整備された歴史や、普段意識しないインフラの奥深さについて学べました。
名古屋の妻の実家に到着して一休み。
東京からの移動の疲れも癒え、よし、そろそろウォーキングに行こうかなと。
まだ日中の暑い時間帯、東京から移動してきた際の歩数もそれなりにあります。
それじゃということで、今日は近場の千種区内を軽くという計画にしました。
向かったのは、このあたりに点在する水道関連施設。
鍋屋上野浄水場と水の歴史プロムナード
まず最初に訪れたのは、鍋屋上野浄水場に隣接する「水の丘」。
ナゴヤドームの近くです。
名古屋市の近代水道を支えてきた鍋屋上野浄水場、その敷地内に位置する公園。
かつてこの場所は、名古屋市に安全な水を供給する重要な拠点だった、そう思うと感慨深いものがありますね。
次に、この鍋屋上野浄水場周辺に整備されている「水の歴史プロムナード」を歩いてみましょう。
このプロムナードは、かつて水道管が通っていたルートなどを利用して整備された遊歩道だとのこと。
歩いていると、ところどころに水道施設に関連するものが屋外展示されています。
大きな仕切弁。
解説板によると、かつて鳥居松沈殿地(鍋屋上野浄水場ができる前の施設)で実際に使われていたものだそう。
イギリス製で、明治44年から約70年もの間、名古屋の水道を支えてきた歴史の証人。
産業遺産としての魅力も感じますね。
水の歴史プロムナードは全長約2km。
都市部とは思えないほど緑が多くて木陰もあるので、夏の暑い時間帯でも比較的歩きやすい道です。
ウォーキングコースとしても整備されており、地元の人の散歩道としても親しまれている様子。
歴史を感じながら緑の中を歩く、私のウォーキング趣味にはぴったりの場所です。
上野天満宮と水の歴史資料館
プロムナードを歩いている途中で、上野天満宮に立ち寄ってみました。
学問の神様として知られる菅原道真公を祀る天満宮… あれっ、残念ながら本殿は工事中。
まぁここはまた次回以降のお楽しみに、ということで。
水の歴史プロムナードの南端まで歩くと、「水の歴史資料館」に到着します。
ここでは、名古屋市の水道の歴史について体系的に学ぶことができます。
無料で見学できる上、館内は涼しいので、暑い日のウォーキングの休憩場所としても最適。
名古屋の水道史について、少し知的好奇心を満たしていきましょう。
名古屋の水道史に触れる
これは、様々なデザインのマンホール。
最近は、ご当地デザインのマンホールが人気を集めているようです。
その土地ならではのイラストが描かれていたり、色が付いていたり。
マンホールを巡る趣味の人は、「マンホーラー」なんて言われるようです。
都市のインフラの一部でありながら、デザイン性が加わることで、地上のちょっとしたアートになっている。
これもまた、日本の面白い文化だなと。
名古屋市に近代水道が通ったのは、意外と遅く大正期に入ってからのこと。
水源は、木曽川の犬山近辺だったそうです。
そこから導水された水は、鍋屋上野浄水場などでろ過処理され、市内に供給。
壮大なインフラプロジェクトだったことが伺えます。
では、水道がなかった明治期、更には江戸時代の人々はどのように水を確保していたのでしょう。
答えは、主に井戸水に頼っていた、ということになります。
江戸時代の江戸は、すでに100万人を超える世界有数の大都市。
多くの人が安全な水を確保するためには、玉川上水のような大規模な上水道整備が必須でした。
一方、同時期の名古屋の人口は10万人程度、井戸水で賄うことができたようです。
明治末期に名古屋の人口は40万人を突破、井戸水の水質汚染による衛生問題や、人口密集地での火災の増加といった問題が深刻化します。
こうした背景があり、安全で安定した水を供給するために、近代水道を整備する必要が出てきたのだそうです。
インフラの整備は、都市の成長と密接に関わっているんですね。
長くなってきたので、今日はこれぐらいに。
名古屋の水道史について、まだまだ興味深い話がありそうなので、明日も少し掘り下げてみましょう。
【おまけのワンポイント】
・初期の名古屋の水道整備に活躍したスコットランドのW.K.バルトンは、大阪・神戸・広島・岡山・仙台・福岡などの上下水道の計画調査や設計指導を手掛けていたんだそう。近代日本の水道整備に大きく貢献した人物なんだなと。
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