・下総中山の法華経寺へ、満開の桜と歴史を訪ねるウォーキング。太田道灌の子孫や本阿弥光悦ゆかりの扁額、貴重な五重塔と桜のコラボなど、歴史への好奇心も満たせるいいコースです。
この週末は、自宅周辺の桜もいよいよ見頃。
私のウォーキングコースとしても馴染み深い、下総中山の法華経寺へ足を延ばすことにしました。
春の陽気に誘われ、カメラ片手に歴史と桜を愛でる散策。
この時期ならではの贅沢ですね。
黒門をくぐり、歴史の深淵に触れる
JR下総中山駅から法華経寺へ向かうと、まず私たちを迎えてくれるのが重厚な佇まいの黒門。
ここをくぐる瞬間、日常から少し離れた空間へと足を踏み入れる感覚に包まれます。
ふと門に掲げられた扁額に目をやると、力強い筆致が印象的。
これは掛川藩主であった太田資順(おおた すけのぶ)の手によるものだとか。
額には寛政五年(1793年)の刻銘があるそうです。
太田資順は、江戸城を築いた太田道灌の末裔。
幕府においても奏者番や寺社奉行、若年寄といった要職を歴任した人物。
特に寛政元年(1789年)に寺社奉行に任ぜられていることから、この法華経寺との縁が生まれたのかもしれません。
歴史上の人物の筆跡を間近に見られるのは、感慨深いものがあります。
ところで、この扁額に書かれている文字、一体どういう意味なのだろう?
「如来滅後 / 閣浮堤内 / 本化菩薩 / 初轉法輪 / 法華道場」
現代の利器、Gemini先生によると、
「お釈迦様がお亡くなりになった後の世に、この世界(閻浮提)において、本化の菩薩(地涌の菩薩)が初めて法華経の教えを説き広められる、ここは法華経の道場です。」
という意味合いなんだそう。
なるほど、この場所の意義を示す、力強い宣言なんだなと。
赤門に導かれ、満開の桜と対面
黒門を抜けさらに参道を進むと、二つ目の門、赤門(仁王門)に。
この門に近づくにつれて、門の向こうに広がる桜色が視界に入り始め、期待感が高まります。
こちらの扁額は、安土桃山から江戸初期にかけて活躍したマルチアーティスト、本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)の筆。
刀剣鑑定の名家に生まれ、書、陶芸、漆芸など多方面で才能を発揮た光悦。
その流麗な書風は「光悦流」とも称されますが、扁額の文字からもその独特の風格が感じ取れるような。
そして、門をくぐると…
まさに満開!見事な桜が出迎えてくれました。
これぞ日本の春という景色。
参道なので、多くの人が自然と空を見上げ、歩きながら桜を愛でる。
そんな穏やかな光景が、ここ法華経寺の桜シーズンの良さ。
桜色の参道 – 変化と変わらぬ美しさ
振り返って赤門を見ると、暗色の門を背景に淡い桜の花びらがふわりと浮かび上がるような美しいコントラスト。
広がる青空の色との対比でさらに鮮やかさを増し、絶好のフォトスポット。
心地よい春風に吹かれながら参道を進んで… あれ?
以前に比べて少し桜のボリュームが減ったような。
7〜8年ほど前だったか、女優の清原果耶が桜のトンネルを歩くCMはここで撮影されたもの。
あの頃はもっと枝が空を覆うように咲き誇っていたんですよね。
樹勢を保つためか、ここ最近に剪定が行われたのかも。
少し寂しい気もしますけど、これも樹木の健康を維持し未来へ繋ぐためには必要なことなんでしょう。
歴史的建造物と桜のシンフォニー
参道を進むと、法華経寺のシンボルともいえる五重塔が見えてきます。
桜との共演は、まさに絵になる風景。
この五重塔、実は非常に貴重な建築物なんです。
建立は寛永21年(1644年)頃とされ、江戸時代初期のもの。
加賀藩主・前田家の援助を受け、本阿弥光悦の一族である本阿弥光室(こうしつ)が中心となって建てられたと伝えられています。
高さは約31.6メートル。
関東地方に現存する江戸時代以前の五重塔は、ここ法華経寺を含めわずか4基しかないそう。
そう聞くと、改めてその歴史的価値の重みを感じますね。
さらに奥へ進み、日蓮聖人を祀る**祖師堂**の周辺へ。
こちらの桜も、以前に比べるとかなり減ってしまった印象です。
とはいえ、植物は常に変化して成長していくもの。
数年後、再び枝を伸ばして空を覆うほどに見事に咲き誇る日が来ることを期待しています。
【おわりに】
歴史ある建造物と満開の桜が織りなす風景、やはり格別です。
太田資順や本阿弥光悦といった歴史上の人物の息遣いを身近に感じながら、春のウォーキングを楽しむ。
桜のボリュームに変化は感じられましたが、それもまた自然の移ろい。
来年、再来年と、この桜たちがどのように成長していくのかを見守るのも、また一つの楽しみとなりそうです。
法華経寺
千葉県市川市中山2丁目10-1
047-334-3433
出入り自由
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