赤穂浪士が討ち入った吉良邸、どこにあったかご存知でしょうか。
答えは両国駅の南側、回向院のすぐ近くです。
松の廊下の一件の後にこの地に移ったそうで、果たして討ち入りが予想されていたからなのかどうか。
まぁ詳しい事情はわからずですけど、近くまで来ているので寄ってみることにしましょう。
まずは両国駅に隣接する「-両国 -江戸NOREN」に。
空いていたらここでランチをとも思っていたんですけど、場所柄まぁ無理ですね。
初めて中に入りましたけど、立派な土俵まであってなかなかの施設。
今度はここをメインとして両国に来てみようかな。
あれ、回向院の横にも説明板。
読んでみると、ここが元の国技館だったとは。
1983年まで、日大講堂として建物が残っていたのか。
記憶には全く残っておらずです。
ようやく吉良邸に到着、両国駅に近いのは裏門です。
吉良邸は、東西130m×南北63mという大きな敷地。
50人弱で制圧できる広さじゃないですけど、出入り口が限られていたからですね。
守りのための塀が、吉良上野介には逆に災いしたんだなと。
敷地内の北辺に当たるであろう場所、本所松坂町公園として整備されています。
小さく「みしるし洗いの井戸」とありますけど、ここで吉良上野介の首を洗ったのかな。
へぇ、吉良上野介か。
小さい印象ですけど、想像以上に小さいな。
いや、そもそも等身大とはどこにも書いてないか。
そのまんま、「徳川家康」でも通じそうな気もします。
園内には稲荷神社。
最期だけをみると不幸な死に方ですけど、高家肝煎、従四位上・左近衛権少将まで出世した人ですからね。
その面を見れば、御利益あるお稲荷様なのかな。
屋敷内か、隣接していた道路か、長辺の130mはそれなりの長さです。
吉良上野介がここに屋敷替えになったのが9月、討ち入りは12月。
討ち入りの噂がもしあったとすれば、屋敷の防御を固めるには時間が足りなかったのかな。
表門はマンションですけど、この近辺に大石内蔵助が立っていたのかな。
そんな歴史を感じながらの街歩き、やっぱり楽しいですねぇ。
さぁて、錦糸町まで歩いて、ランチを食べることにするかな。
本所松坂町公園
墨田区両国3-13-9
03-5608-6661(墨田区道路公園課)
24時間開園
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