江戸東京博物館に来るのは2013年9月以来、ほぼ6年ぶりです。
前回は、わざわざ台風の日を狙って来たので空いていたんだよなぁ。
展示も多少は変わっただろうし、忘れていることも多いので楽しいだろうなと。
朝10:00過ぎ、午前中は空いているだろうと思ったら、博物館に向かう人はほとんどいないという状況。
チケット売り場も空いていて、長~いエスカレーター乗ってスムーズに6階に到着です。
解説音声のレシーバーを借りようとしたところ、説明文の読み上げなので付加情報が必要ならボランティアガイドさんをとのこと。
う~ん、自分1人のためについてもらうのも悪いしなぁ。
館内にはそこそこ人がいましたけど、展示物が見えないほどでもなし。
時間もあるし、自分で読んでいこう。
まずは江戸の町のジオラマ、何度見ても見事な出来です。
町人が集まって観ているのは、見世物なんでしょうね。
一人ひとりの姿に動きがあって、ドローン空撮のような見え方。
江戸城本丸大広間、天井裏の梁が見事ですね。
重い屋根を支えて、力を逃す構造なんだろうなぁ。
400年も前の技術で、この複雑なものを設計・施工したというのは立派。
江戸城の復元模型。
こうやって見ると、建物がやたらと密集していたというのがよくわかります。
本丸御殿や大奥、二ノ丸御殿も再現されていて。
城は天守閣がメインではない、というのがよくわかる模型です。
その江戸城天守閣が焼けたのが1657年に発生した明暦の大火。
大火の悲惨さを解説したパネルがこれで、罹災家屋は江戸の60%、死者は6万とも10万とも言われているそうです。
こうやって焼けた地域を地図で見ると、改めてその被害の大きさがわかりますよね。
松の廊下の屏風絵を再現したものは、ペラッペラの布なので、安っぽいのはまぁ仕方ない。
展示物を観ていると背中側にあるので、気付かない人もいそうな気がします。
大名家の姫君用の籠、見るからに豪勢ですよね。
これも定期的に塗り直したりすると、かなりのコストがかかりそうな。
それでも見栄って大事だったんでしょうね。
越前松平家の上屋敷、これも明暦の大火で焼けてしまったのか。
この大火、経済的損失は計り知れないですね。
因みに明暦の大火には「振袖火事」という別名があるのは、皆さん何となくご記憶ではないかと。
同じ振袖を着ていた娘さん3人が相次いで亡くなったので、供養のため寺でその振袖を焼いたところ、北風に煽られて飛んでいったのが火元になったということ。
作り話だと言われてますけど、インパクトはありますよね。
江戸東京博物館の記事、まだまだ続きます。
【今日のワンポイント】
・明暦の大火、八百屋お七の火事と混同してましたけど、全くの別物。しかも八百屋お七の火事は小火、直前に発生した天和の大火で避難した寺の小姓と恋仲になって、再び会いたいが故に自宅に火をつけた、ということらしい。記憶って結構いい加減だなぁ。
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