世界遺産の富岡製糸場、テレビで紹介番組を観たので行ってみることに。
登録当初は激混み、そろそろ落ち着いただろうし、暑い時期は人も少ないだろうなと。
富岡製糸場の開業は1872年。
当初は官営工場だった訳ですけど、なぜ明治初期にこの工場ができたのか。
当時の日本は、絹が主な輸出品。
民間で作られたものに粗悪品が横行しており、国際的な評価を落としていたとのこと。
そこで官営工場を作り、品質のいい絹を生産するとともに、工女さん達に技術を伝えて全国に広めていこうということが狙いだったようです。
敷地面積は5.5万平方メートル、サッカーコート8面に少し及ばずという広さ。
そこに当時の建物がほぼそのまま残っているというのは、確かに希少なことですね。
当時の社宅だったという建物に入ると、おぉ、蚕がいたいた。
子供の頃、学校で見たような。
動かないので作り物かなと思ったところ、ゆ~っくりと身体を仰け反らし。
記憶に残る印象よりは、可愛らしい気がしなくもない(複雑)。
今回は、せっかくなのでガイドツアーに参加。
200円/人と良心的な価格で1時間弱、主だったところを紹介してくれます。
簡単な無線イヤホンを貸してくれるので、ガイドさんから離れたところでも問題なし。
冗談を交えながら、楽しく確実に知識を得られるので、これはおススメ。
国宝の繰糸場にて。
「この建物に入って、ある特徴に気付きました? そう聞くと、大人は黙ってしまうんですけど、お子さんはすぐ気付くんですよ。」
「…(?)」「…(わからんぞ)」
「実は柱がないんです。」
「おぉ。」「ほんとだ。」
「だから言うんです。走らない(柱ない)でねと。」
「…(絶句)」「…(苦笑)」
この建物は診療所。
製糸場と工女さんというと、休みなしで毎日働き詰め、そして病気になったら放置されるというブラックな労働環境を想像しますよね。
でも、ここ富岡は全く違ったとのこと。
病気になれば診療所に、1日の労働時間は7時間45分で日曜日休み。
給料もそこそこ出て、3年かけて技術を教えて貰える、というスタイルだったそうです。
働いていたのは主に士族の子女だった、ということも影響しているのかも。
ガイドさんに教えて貰ってなければ、全く異なるイメージで観てしまったでしょう。
立派な建物は首長館、初代工場長のフランス人、ブリューナが家族とともに住んでいて、900平方メートル超という広大さ。
ブリューナの給料は現代だと億の単位だったそうで、当時は日本に住んで技術を教えてくれる欧米人が希少だった、ということがよく伝わりますね。
ガイドツアーでは、外見を解説してもらった東繭置所、こちらも国宝ですけど、中に入れるんです。
1階は展示スペース、当時の器具やらシルク土産物やらが並んでいます。
ガイドツアーで集中したせいか、そこそこ疲れたのでここは軽く流したのみ。
ツアーに参加する前に観ておく、これが上策なのかな。
東繭置場は2階も公開、長さ100mのガランとした空間。
ここいっぱいに繭が置かれていた時代もあったんだなぁ。
ブリューナエンジンは、蒸気エンジンだそう。
電気が来るまで、このエンジンが繰糸機の動力だったんだとか。
再現品とはいえ、これもしっかり稼働するらしい。
見てみたかったな。
お富ちゃん、「昔の人は、「お富さん」って言うんですよね。」というのはガイドの方の弁。
おぉ、そういえば昔、お爺ちゃんが酔って「死んだはずだよお富さん~」と歌っていたなぁ。
春日八郎、1954年のヒット曲なのか。
一体なぜ、お富さんは死んだはずなんだろう。
そしてなぜ生きているんだろう。
謎の多い歌詞ですけど、富岡製糸場には全く関係ないんだろうな。
富岡製糸場
0274-64-0005
富岡市富岡1-1
開館 9:00~17:00
休館 年末
入場料 1,000円/大人1名
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