【この記事のポイント】
・八郎潟の干拓は、かつては社会の教科書にも書いてあったほどの大事業、せっっかく秋田に行くなら『大潟村干拓博物館』でその全貌を学ぼう
八郎潟という名前、頭の中にしっかりと刻まれているのは小学校か中学校で習ったからなのか。
細かく覚えている訳ではないものの、大規模な干拓が行われた地という認識はありました。
息子が調べてくれて、かつては日本で2番めの広さを誇った湖だったと知ってびっくり。
日本で2番めということは琵琶湖に次ぐ面積、相当なスケールですよね。
しかも「埋め立て」ではなく「干拓」という点もユニーク、これはその経緯を確認しにいかなければと思っていたんです。
そんな私にピッタリだったのが『大潟村干拓博物館』。
大潟村というのは八郎潟の干拓によって生まれた土地にある村、発足は1964年と干拓が行われた年に発足しています。
この施設が建設されたのが2000年で、併設の道の駅おおがたがオープンしたのが2008年6月らしいので、その時にこんな近代的な建物になっているのかもしれないです(ネット上では目ぼしい情報を発見できず)。
建物内から繋がって博物館、入り口の扉がスタジオみたいだなと。
重くて入り難さもあり、また300円とはいえ料金がかかるというので利用者は少なそうです。
中に入ると想像通りで、お客さんはほとんどおらず。
なのでゆっくりと展示を観ることができるという博物館。
八郎潟全体の模型、南側には湖がそこそこの広さで残っていて、周囲にも湖水が残っているんだなということがよくわかります。
斜めからの写真でわかりにくいですけど、一番奥が元の湖、右2つが干拓後の姿です。
こうやってみると、本当に日本で2番めの広さあったのかと疑問を感じるようなのっぺりとした湖。
とはいえ、Googleマップとかで日本の湖を改めて眺めてみると確かに八郎潟はデカいんですよね。
お、何これ、入植者お茶の間劇場とな。
この方達が何をしているのかはよくわからずですけど、けっこう綺麗な家に住んでいたんだというのが率直な感想です。
入植が始まったのは1967年。
以降5次7年にわたり、580人の方がこの地の新たな可能性に挑んだとのこと。
「第1次・第2次入植者の住宅にはなくて不便なものもありました。それまなんでしょうか。」
①ガスコンロ
②電話
③お風呂
④パソコン
確かに、どれがなくても不便であることは間違いない。
自分の基準で考えて、電話はなくても困りゃしないけど、パソコンはないと困る。
よし、④のパソコン!
えっ、答えはなんと②電話とな...
そうか、自分の基準で考えちゃいけない。
入植者の時代背景を考えて、当時はパソコンなんて無くて普通、電話がないと困ったんですね。
懐かしいおもちゃ、家にもこんなのあったよなぁ。
自分が遊んだんだったか、妹のおもちゃだったのか。
やけに郷愁感をそそるインテリア。
干拓したとはいえ、元は湖の底。
そんなところを農地にするというのは、並大抵の努力ではないというのは容易に想像できますよね。
今日は広々と田園風景が広がる八郎潟ですけど、入植者の苦労は想像を絶するものだったんだろうなと。
博物館の見学を終え、次は田沢湖に向かおうという道の様子。
ひたすら真っ直ぐ、左右に木が植えられているという風景が続いていましたけど、ここが湖だったとは信じられずです。
やはり現地に来て、自分の目で確かめるというのが凄さを感じる一番の手段。
そう思いながらのドライブでした。
あ、そうだ。
その前に道の駅おおがたでランチを食べたことを書かねばですけど、それはまた明日にということで。
大潟村干拓博物館
0185-22-4113
秋田県南秋田郡大潟村字西5-2
営業時間: 9:00~16:30
休館:10月~3月は火曜、4月~9月は第2・4火曜、年末年始
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