【この記事のポイント】
・12年ぶりの鹿島神宮。境内に並ぶ山車の武神像に驚きつつ、楼門をくぐって境内へ
・蕎麦屋の1時間待ちで「並ぶ」気力を完全喪失。本殿も奥宮もスルーして、神聖な奥の杜に直行
ランチの後、最後に鹿島神宮に参拝して帰ろうか。
旅の締めくくり、今回の主役を訪れておかなければですね。
12年ぶりの鹿島神宮。神聖な空気が出迎える旅の最終章
ここに来るのは… やっぱり12年ぶりなのか。
静かな杜はしっかりと記憶に、空気が異なる神聖な地。
訪れれば、誰であろうと感じることだと思います。
境内に鎮座する山車。佐原と鹿島が結ぶ祭りの縁
お、今日は山車の展示をしているのか。
佐原のを持ってきているのかと思いきや、鹿島にも5台の山車があるんだとか。
そういえば、昨晩食事をした『オーベルジュ ド マノワール吉庭』のスタッフの方がうちの家族と話をしていたな。
「人手不足なので、佐原と鹿島でお互いに…」
「私は聖徳太子のところにいますから…」
みたいなことを言っていたような。
でも、聖徳太子の山車に彼らしき人はいなかったんですよね。
身長4m超の迫力。大魔神を彷彿とさせる武神・武甕槌大神
これ、山車の武甕槌大神像。
超リアルで人間っぽいのに驚きません?
いかにも武神という顔つき、今にも動き出しそうな迫力。
身長4m超、こりゃほぼ大魔神… なんて言っちゃいけないか。
神々しさと畏怖の紙一重。妹と笑って同罪になった天照皇大神
天照皇大神、こりゃ幽霊… と言っては畏れ多い。
祟られたらたまったものじゃないですけど、私の一言で笑っていた妹も同罪ですからね。
水戸徳川家の威光。初代藩主・徳川頼房が奉納した重文の楼門
なんて言いながら楼門に。
こちらは重文、江戸時代初期に水戸藩初代藩主の徳川頼房によって奉納されたものなんだそうです。
1時間待ちの後遺症。本殿前の行列を遠巻きにスルーする決断
旅の締めくくりに主役へ参拝… と思ったものの、本殿前にはそこそこの行列。
先ほどの蕎麦屋で、ワンオペで1時間待ちの洗礼を浴びた我々一行。
『並ぶ』という文字は完全に消去されており、遠くから心の中で手を合わせてそそくさと奥の杜へ進むことに。
異世界へと続く杉並木。静寂と清気に満ちた鹿島神宮の杜
さぁて、私の好きな空間、鹿島神宮の杜に。
清らかな空気に包まれていて、異世界の入口のような雰囲気です。
春日大社のルーツ。神の使いとして愛される鹿たちの檻
鹿は相変わらずの人気。
奈良のように自由に動き回ることができないのは、ちょっと可哀想ですけどね。
春日大社も、ここの白鹿が武甕槌大神の御分霊を乗せていったとのこと。
そう聞くだけでも、鹿島神宮がいかに途方もない歴史を誇っているかがよく分かりますよね。
深まる神域の静けさ。初めての同行者をも魅了する神聖な空間
鹿島神宮の杜を更に奥に。
神様の領域により一層近づいていくような。
初めて訪れる妹友人のSさんも、すっかりこの魅力に取り憑かれている様子でした。
関ヶ原の戦勝報告。家康が奉納した奥宮に感じるご利益の重み
奥宮は、以前より綺麗になった気が。
調べてみると、2021〜2022年に令和の大改修が行われたとのことです。
この奥宮、徳川家康による奉納。
関ヶ原の合戦の戦勝報告として奉納、当初は本殿だったんだとか。
息子の秀忠が本殿を建て替えた際、移築されて奥宮になったんだそうです。
関ヶ原は、江戸幕府260年の基礎。
その戦勝報告の建築物と聞くと、奥宮の価値(そして御利益)もまたグンと跳ね上がるというものです。
とはいえ、やはり「並ぶ」ストレスの耐久性は極端に落ちている我々。
更に奥、鹿島神宮の真髄に進もうというところで、続きはまた明日。
【おまけのワンポイント】
鹿島神宮の鹿といえば奈良・春日大社の鹿のルーツとして有名ですけど、実は768年に武甕槌大神の御分霊を春日大社へ運ぶため、神の使いである白い鹿の背に乗って鹿島から奈良まで約1年かけて旅をしたという壮大な伝説があるそう。
この道中が現在の主要な街道の起源となり、途中の宿場などに「鹿島」や「鹿」にまつわる地名が残ったのだとか。ちなみに現在の鹿島神宮の鹿園にいる鹿たちは、明治期に一度頭数が激減して途絶えかけた後、大正時代に春日大社から改めて譲り受けた鹿の子孫なんだそうです。
神様を運んで奈良へ移住した鹿の子孫が、1000年以上の時を経て「親元へ里帰り」したという数奇な歴史を辿っているとのこと。そう考えると、金網の向こうで気ままに草を食む姿にも、どこかドラマチックなロマンを感じてしまうものですね。










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