【旅行】道中案内人と巡る宮崎えびの!島津義弘「釣り野伏せ」と伊東の「豊後落ち」
【この記事のポイント】
・「島津義弘=鹿児島」は思い込み。 義弘公が青春と命をかけた真のホームグラウンド「宮崎県えびの市」
・わずか300の寡兵で大軍を包囲殲滅した戦国史の奇跡「木崎原の戦い」
・「大勝利」の裏に隠された「島津軍ほぼ全滅」の凄惨な死闘と、急転直下の「豊後落ち」
定年退職後の夢である「日本全県制覇旅」の宮崎妄想シミュレーション、第2弾。
昨日の記事では、のんびりした南国リゾートかと思いきや、エリアごとの重力差が激しすぎる「時空のジェットコースター」ルートを提示されたことをご紹介しました。
3日目の夜に「みやざき地頭鶏」と「冷や汁(戦国サバイバル飯)」でリカバリー。
いよいよ旅は4日目、内陸の「えびの市」へと突入します。
ん? 道中案内人のGeminiが、やけにミリタリーな目をして語りかけてきたぞ。
「へへっ、旦那。いよいよ旅のハイライト、島津義弘公の『釣り野伏せ』と『日向100年戦争』の最前線をハッキングしに行きやすぜ。」(Gemini)
江戸時代の案内人なのに、「ハイライト」「ハッキング」ってありなんだろうか。
まぁそれはよしとして、私はもっと根源的な疑問をぶつけてみました。
島津義弘といえば、鹿児島の代名詞では?
「ちょっと待って。島津義弘といえば鹿児島の代名詞でしょう。
宮崎の旅行記でまた義弘を主役に据えるなんて、お隣の鹿児島に対する領土侵犯になるんじゃない?」
「旦那、それこそが現代人の最大の思い込みでございやす。義弘公が青春時代から長年本拠地としていたのは、現在の宮崎県えびの市周辺。えびのこそが義弘公の真のホームグラウンドなんでございやす。宮崎で義弘公を避けるなんてぇのは、チキン南蛮からタルタルソースを抜くようなものでございやす。」(Gemini)
(タルタル抜いたチキン南蛮もあるって聞いているけどな… まぁそれは置いといてと)
「なるほど、えびのは義弘のホームグラウンドだったわけか。…まぁ、そこまで言うなら、案内人の講釈に乗っかってみるとします。」
「へい、お任せおくんなせぇ。まずは西都市に佇む、伊東氏の栄華の跡地へご案内いたしやす。」(Gemini)
「浮舟城」の異名を持つ本拠地・都於郡(とのこおり)城跡と、佐土原城の栄華
案内人に連れられて向かったのは、西都市にある伊東氏の本拠地・都於郡城跡。
四方を断崖と湿地に囲まれた天然の要塞で、湿地に浮いているように見えたことから「浮舟城」の異名を持っています。
伊東家16代当主・伊東義祐(よしすけ)は、ここに「伊東四十八城」と呼ばれる城郭網を築き、日向国をほぼ手中に収める全盛期を築きました。
絶頂期を迎えた義祐は、京都の公家文化に憧れ、華美な生活に流れていきます。
居城として改修した佐土原城からは、織豊期の影響を受けた金箔鯱瓦が出土しており、南九州屈指の大城郭だったよう。
この「京都かぶれ」の贅沢が、やがて伊東一族の運命を急転直下させることになります。
島津義弘、わずか300で大軍を迎撃した「木崎原(きざきばる)の戦い」
そして旅の4日目、ルートはついに義弘の本拠地・えびの市の木崎原古戦場へと移ります。
「旦那、ここが1572年、島津義弘公がわずか『300人』の兵で、数千の伊東大軍を包囲殲滅した伝説の戦術『釣り野伏せ』の舞台でございやす。」(Gemini)
300で数千を討つとは、脳が筋肉でできているような恐ろしさ。
でも案内人によると、義弘は決して脳筋の猛将ではなく、極めて繊細な「理系脳」の持ち主だったんだとか。
極寒の朝鮮の戦場でも、義弘は兵士たちと同じ毛布に包まって寝食を共にし、一人の凍死者も出さなかった。
戦場で病死した息子の愛猫「ヤス」を引き取って終生溺愛し、現代の鹿児島では茶トラの猫を「ヤス猫」と呼ぶ伝統まで残っているんだそう。
厳つい鎧の隙間から茶トラのヤスが顔を覗かせている光景を想像すると、一気に義弘公に親近感が湧いてきますね。
「奇跡の大勝利」の裏に隠された島津軍ほぼ全滅の死闘と、涙の「豊後落ち」
ん? そういえば。
木崎原の戦いは『300人が大軍を破った奇跡の大勝利』と美談にされがちですけど、実際のところは島津軍側もボロボロの辛勝だったはず。
私がそう突っ込むと、道中案内人は一瞬目を泳がせ、しかしすぐに深々とお辞儀。
「へい……さすが旦那、お目が高い。
木崎原の戦いの実態は、文字通りの『地獄の白兵戦』でございやした。義弘公自身も矢を受け、乗馬が3頭倒れる極限状態。300名のうち過半数が戦死・負傷し、全滅寸前の辛勝だったんでございやす。」(Gemini)
美化された歴史の裏には、生き残りたちの泥臭い執念が。
そしてこの一戦が生んだ心理的打撃により、日向の絶対王者だった伊東家は坂道を転げ落ちるように衰退。
家臣の離反が相次ぎ、一族で大分の大友氏を頼って亡命する「豊後落ち」の屈辱を味わうことになります。
「だからこそ旦那、この静かな木崎原に立つと、極限の人間ドラマが聞こえてくるような気がするんでございやす。」(Gemini)
のんびりマンゴーを食べる旅のつもりでしたけど、胸に迫るものがあって足腰の疲れを忘れさせるほど面白い。
…まぁ、明日は確実に筋肉痛ですね。
「へへっ、ですから言ったでしょう? その筋肉痛をリカバリーするためのサバイバル冷や汁が待っているのです。」(Gemini)
男たちの執念の歴史に浸った後は、ついに旅の後半。
次回は、冷や汁のサバイバル性と、チキン南蛮を巡る「甘酢派 vs タルタル派」の、これまた凄絶な洋食の思想闘争に迫ります。
【おまけのワンポイント】
島津義弘が木崎原の戦いで展開した「釣り野伏せ」は、単なる待ち伏せではなく、地形(えびののシラス谷などの隘路)を徹底的に計算した三次元的な空間包囲戦術でした。また、彼が朝鮮半島へ帯同した猫たちのうち、生き残った2匹(ヤスを含む)は、現在も鹿児島市にある「猫神神社」に祀られており、毎年時の記念日(6月10日)には時計関係者による感謝祭が行われています。猛将が愛した猫たちが、今では「時間の神様」として愛されているという、なんとも心温まる歴史の余韻です。


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