さて、松山城の天守に進入、内部を観ていきましょう。
江戸時代から残る12天守の一つではありますけど、完成したのは1854年と江戸時代末期。
オリジナルの天守は1784年に落雷で焼失、実に70年もの歳月をかけて再建されたとのこと。
太平の世だったからという見方もあるのでしょうが、財政的にも厳しかったのかな。
途中で諦めず、最後まで造り切った粘りは素晴らしい。
まずは加藤嘉明の紹介と鎧兜から。
加藤嘉明がこの地に城を築き始めたのは1602年、つまり関ヶ原の直後。
まだまだ四国も瀬戸内も安定しておらず、堅牢な平山城を造るのは当然の時代です。
加藤嘉明は、翌年の城の完成を見ることなく1627年に会津に移封に。
20万石から43万石への大出世ではありましたけど、長年かけた城を手放すのには複雑な思いがあったんじゃないかな。
お、刀の重さを実感できる展示。
想像よりも軽いものの、狭い空間でガコガコと動かしただけで、これを振りかぶって振り回してという動作をしたら相当に疲れるでしょうね。
石落と狭間、リアルに使うことを想定した作りに萌えます。
あれ、狭間は鉄砲用のようですけど、先込め式の火縄銃でも天守から下向きに撃てるんだろうか。
検証したサイトを見ると、答えはYes、火薬や玉をギュッと詰めれば大丈夫なんだそう。
とはいえ、詰め方が不十分だと玉だけがコロコロと。
扱いに熟練が必要なことは間違いないですね。
連立する櫓、ここをまともに攻めても犠牲が増すばかり。
そんな想像ができるほどに建造物が残っているとは、今まで観た中で松山城はトップクラスの城です。
階段が急なのは、他の城と変わらず。
でも松山城は居住性もそれなりに考慮されていたようで、一部フロアには階段が2つ。
観光用には昇り下りで一方通行にしているので、怖さも半減です。
最上階からの眺め、本丸の広さがよくわかりますね。
松山の街並みが小さく見えて、遠近感が狂ったのかと錯覚する風景。
ニノ丸への下りは徒歩。
下りだからまだいいですけど、これを登るのはキツいでしょうね。
下りはまだいいと書きましたけど、旅行3日目で疲れた足。
階段を踏み外さないよう、足元に集中、集中…
あ。
チャリで痛いお尻には締まりがなくなっており、不覚にも屁が出てしまった。
松山城の森に虚しく響く屁の音色。
周囲に誰もいなくてよかった… いや、屁でまだよかった。
下品ですいません。
松山城
089-921-4873
松山市丸之内1
営業時間 9:00~17:00
休業 12月第3水
料金 510円(ロープウェイ、リフトは別に510円)
【緊急事態宣言で不要不急の外出を控えるようにという要請が出ていますが、この記事は宣言前の旅について書いたものです】
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